家の外は晴れていても、心中は大嵐。
…カイは思わず深い溜息を付いた。
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Mistake* ― 2 +++
「パパ〜パパ〜♪」
背後から華が散るような笑顔を惜しみなく振り撒きつつ、まるで『逃がすまい』とするかのように、
カイの着ているベストを握り締めて懐いているのは、レイによく似た外見の少女。
取り敢えずリビングのソファに座ったが、彼女は当たり前のように自分の後をついて来て、当たり前のように自分の膝の上に座り、
混乱している此方を余所に、金銀妖瞳の瞳で時折此方を見上げつつ、相変わらず人懐っこい、楽しそうな笑顔を振り撒いている。
……………。
……………………。
…取り敢えず、深呼吸した上で、状況整理をしてみよう。
1. レイが買い物に出て行った。(約20分前)
2. 呼び鈴が鳴った。(約5分前)
3. 珍客…と言うか、腕の中にいる謎の少女が現れる。(約5分前)
4. 飛び付かれた上に、何故か『パパ』と呼ばれた。(約5分前)
……………。
……………………ちょっと待て。
百歩譲って飛び付かれたまではまだ良い。だが、何故俺が『パパ』なんだ?(汗)
気付くのが遅い、と、普段の俺ならそう評しただろう。だが、現状はそんな事を言っていられる状態ではない。
身に覚えが無い訳ではない。寧ろあり過ぎて困るぐらいだ。…今となっては最早『冷や汗が出る』記憶に変わりつつあるが。
だが、今朝もその前も、昨年も一昨年も、その前の年も、その前の前の年も――――レイが極端に“太る”という体形を取った事は無い。見た事もない。
12歳以前は流石に知らないが――――それでも、記憶にある限り、ここ近年のレイの体型は、何時も変わらず痩身だった。
人は約十月十日で生まれるが…目を離した15分後に、6歳の娘が出来ていた、なんて話は聞いたこともない。
…では、この娘には俺に良く似た外見の父親が居て、勘違いならぬ人違いをしているだけなんだろうか?
「…おい」
「なにー?」
「お前の名前はなんて言う?」
「?火渡麗華だよ?…変なパパ」
…娘の口からあっさり出た苗字に、再度眩暈を起こし、床に沈没しそうになったのは、言うまでもあるまい。
「ち、父親の名前は?」
「火渡カイ!」
撃沈。
気を失いかけたのは、生まれてこの方これで何度目だろうか。
…『同姓同名、おまけに外見も似ている人物が、この娘の父親』なんだと信じたいが、そんな“ドッペルゲンガー”が居るなら、俺が真っ先にお目に掛かりたい。
思考がどんどん別方面に曲がっていっている事に気付く余裕は、今のカイには微塵も無かった。
ふと視線を向けた先のパソコンの画面が、何時の間にかスクリーンセーバーに切り替わっている事に気付き、
カイは膝の上の少女をソファに座らせてから立ち上がり、
スクリーンセーバーから画面を復帰させて、今まで作業していた火渡エンタープライズ関連の書類を保存すると、そのままパソコンの電源を切った。
プツ、というパソコンの電源が切れた音と同時に踵を返せば、一体何が楽しいのか、にこにこと此方を見つめるちびレイの姿。
…レイが帰ってくるまで、多く見積もってもあと約30分。
その間にこの娘を如何にかしなければ――――如何にかしなければ、これではまるで幼女誘拐犯状態ではないか。
帰ってきたレイの視線が痛い――――なんてものでは済まないであろう事は、混乱している今の頭でなくとも判るだろう。
如何しよう、如何しよう。…如何にかしなければ。
生まれてこの方20年、身に覚えが無いとは言えないが、少なからずとも子供を作ったつもりは全く無い。微塵も無い。
養子を貰った覚えも無ければ、それ以前に所帯を持った覚えすらない。
第一レイから『子供が出来た』等と、寝惚けても聞いた覚えが無い。…いや、聞いた覚えが無いと、自分が自分に暗示をかけているのか?
最早疑心暗鬼の境界線を越えて、狂人の部類にまで自分を疑っているカイの耳朶を打ったのは、
「ねぇパパー、レイママは何処行ったの?」
……………………………。
…もういっそのこと楽にしてくれ。
此方を不思議そうに見上げたままの少女を腕の中に収めたまま、カイの魂は遂に空を飛びかけた――――その時。
「ただいまー…」
「あ、ママ!」
「待て!!」
ガチャリという、玄関の扉が開く音と、40分前に出て行ったレイの、帰宅を告げる声。
御主人様の帰りを聞きつけた犬のように、カイの腕の中から飛び出て行こうとした少女を、カイが慌てて抱き留める。
「?何で?」
カイの腕で胸が圧迫されたのか、反動でカイの胸に倒れ込んでケホケホ咳きながら、少女はカイを見上げる。
その間にも、レイは買い物籠を手に持ったまま、リビングにどんどん近付いて来る。
「カイ〜ただい、ま…?」
…万事窮す。
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<UP:05.1.16>