俺は今、一体何を見たのだろうか?












+++  Mistake* ― 3 +++












「か、カイ…?」
「…もう何とでも言え」
半分以上自棄を起こしているような表情で―――実際にそうなのだが―――吐き捨てるように呟いたのは、
自分の幼い頃によく似た容貌の、白い細やかな文様の描かれたチャイナデザインの布地で出来た、黒いラッセルレースで縁取りされたワンピースの下に、
デニム地の編み上げデザインの入ったストレートパンツを穿いた、およそ6歳位の少女を膝の上に乗せ、左手で顔半分を覆い隠しているカイ。
左手の隙間から見えるそのうんざりした表情と声からは、約40分前に聞いた声の片鱗すら見当たらない。
そんなカイの腕の中では、少女が悪戦苦闘している――――カイの右腕がウエストにしっかりと回されている所為で身動きが取れず、
カイの腕の中でジタバタと抵抗していたが、それでも、今にも此方に飛びついてきそうな、嬉しそうな表情で此方を見ている。
「え〜と…カイ、その女の子は一体」
「ママ!」
「…は?」
「パパ!放して!!」
「はぁ!?」
「……レイ、助けてくれ…」
彼此彼と出会ってから一度も聞いたことも無い、弱った声で呟くカイの声が聞こえる。
「…取り敢えず、落ち着こう、な?」
何をどう落ち着ければ良いのか全く判らなかったが、レイは引き攣った笑顔を2人に向けた。










「お前は此処に座ってろ」
「はーい」
ダイニングに買い物籠を運び込んだレイと、早急に、且つこの娘の聞こえない範囲で、この状況を説明する為に、
カイは再びソファの上に少女を座らせると、TVのリモコンを手渡し、ソファから立った。
ダイニングに入ると、籠から人参を取り出しつつ、レイが小声で口を開いた。
「…で、あの子は誰なんだ、カイ?」
「それは俺も訊きたい」
「は?…如何言う事だ?」
「それも俺の科白だ。…取り敢えず、順を追って話すから、其処に座ってくれ」
レイの手から人参を取り上げ、カイは視線でダイニングの椅子を示す。
眉を顰め、不本意そうな顔をしながらもレイが座ったのを見届けると、カイは溜息を交えつつ、彼女の来歴を話し始めた。





「…ふぅん。…で?」
「で?、って…今話した通りだが?」
「…要はカイが何処かで浮気してた〜と、そういう事だよな?」
じと目で此方を睨んで来るレイの視線が痛い――――いや、これは予想していた事だが。
「何処をどう聞き間違えたらそういう答えが出る」
「見ての通りだろ?随分懐かれてるじゃないか、パパ」
氷点下の冷たさを保った視線がカイに注がれる。
「あのな…あいつの外見年齢と俺達の年齢を逆算して考えてみろ?!
仮にあいつが6歳として、20−6=14歳の時の子供になるんだぞ!」
「それが?」
「中学生の分際で、誰が所帯なんぞ持つか!」
「カイは中学生でも所帯持てるんじゃないか?あの頃から十分な収入あった訳だし。
…因みにあの子の名前は?」
「火渡レイカ、と、本人が言っていた」
「なら決まりだな。しらばっくれてないでちゃんと責任持てよ、カイ」
「だから俺は何も知らないと言ってるだろう!」
「でも現にあそこに居るじゃないか」
レイの指差す方向には、カイから手渡されたリモコンでTVのチャンネルを時々変えつつ、楽しそうな笑顔を絶やさない少女の姿。
「知らんものは知らん。それに、あいつはお前の事も言ってたぞ?お前も聞いただろうが」
「“ママ”って?…そんな事を言われても、俺は子供を産んだ事は無いぞ?」
「だが現にあいつは俺の事を父親、お前の事を母親と思っている。…これにはどう説明をつける?」
「俺達によく似た外見の、何処かの夫婦の子供、って事はないか?」
「有り得んな。…普通、自分の両親と赤の他人を間違える莫迦は居ないと思うぞ。おまけに名前まで同じときてはな」
「カイの名前とはな。俺は関係ないぞ」
「そうも言えんだろう。あいつは自分の父親の名前に、俺と同じ名前を言った上に、母親の名前を“レイ”と言った。
…火渡の親族の中には、俺以外に“カイ”という名を持つ奴も居なければ、“レイ”という名を持つ者も、“レイカ”という名を持つ奴も居ないぞ」
「…でも、カイの家とは別の"火渡”さん家の子供かも知れないぞ?」
「それは何とも言えないが…なら、何故あんなにお前に似ている?」
「…それこそ“他人の空似”ってヤツじゃないのか?」
「あそこまでそっくりの“見ず知らずの他人”が居て堪るか」
「…じゃあ、如何すれば良いんだ?」
「…極秘裏にDNA鑑定にでも掛けるか」
「ぇえ!」
「そうでもしなければはっきりしないだろう?」
「でもっ、その前に警察に言った方が…」
「勿論、迷子や誘拐、行方不明の情報も警察に訊く。…だから、DNA鑑定は最終手段だ。
だが鑑定に時間が少し掛かるからな。事実を早くはっきりさせたいなら、これが一番“事実を証明”できるだろう?」
「…確かに」
『あまり大事にはしたくないんだがな』と俯き加減に呟き、溜息を吐いてから、カイは顔を上げ、
「…という訳だ。何にせよ、暫くは一緒に居なければならないな」
自分で言っておいて、再度深い溜息を吐くカイを見て、レイが苦笑する。
「…取り敢えず、お昼御飯を作るよ。詳しい話はその後でも良いだろう?」
「…あぁ」
「パパー、ママー、お話終わった?」
「あぁ」
「おいっ!;」
少女の問いに対してあっさり返事を返したレイに、驚愕を含んだ焦った声を返せば、レイは苦笑しながら
「“暫くは一緒”なんだろう?パパ?」
「…判った」
左手で顔を覆い、又も深い溜息を零すカイを見て、遂にレイは声を上げて笑い始めた。
「レイカ、パパと一緒にTVでも見ていてくれ」
「判った。パパ、こっちこっち!!」
リビングからダイニングへと駆け寄ってきて、椅子に腰掛けていたカイの手をぐいぐい引きつつ、リビングに連行していく。
その光景があまりにも可笑しくて――――知らず知らずのうちに口元を手で覆い、込み上げて来る笑いがレイの全身を伝わって、身体が小刻みに震える。
この、一見ほのぼのとした光景をあの3人が見たならば、彼らは一体どうコメントするだろうか。
きっと、1人は呆然としてあんぐりと口を開けた後に爆笑し始めるだろうし、もう1人は楽しそうなからかい声を上げ、
最後の1人はいつも後生大事に抱えているノートパソコンでこの光景を激写し始めそうだ。
笑い声を上げそうになるのを必死で堪えている―――殆ど爆笑状態―――レイの方へと首だけ振り返ったカイは、
「今夜覚えていろ」
等と忌々しげに舌打ち等しつつ、一睨みしたが、既に目元には涙を浮かばせ、腹を抱えて笑っているレイには見えていなかった。




…突然やって来た“珍客”の正体が、2人に漸く“事実”として受け止められたのは、それから僅か4年後になる。















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<UP:05.1.26>