午後17時。マンションの厳重な警備と防犯の数々を、入居者に与えられた専用の鍵と暗証番号を使ってあっさり乗り越え、
ゴウは家の玄関の扉へ鍵を差し込むべく、ポケットへ手を突っ込んだ。













+++  Metamorphose ― 2 +++













朝のHRからやって来た新しい転入生は、俗に言う“器量良し”で、木ノ宮が望んでいた“世界に通じるベイブレーダー”でもあった。
よくよく思い起こせば、前回参加した世界大会の個人戦で、地域別に振り分けられた各国代表の中に、その名があったような気がする。
…何にせよ、ベイ馬鹿の木ノ宮が飛び上がって喜んだ事には変わりない。
彼女がベイブレーダーだと判明し、休み時間になるなり、早速運動場の端にあるベイスタジアムまで引っ張って行ってしまった。
小さな溜息を付いて、これでやっと静かになると思った瞬間、
「何やってんだゴウー!お前も参加!!」
…と、強制参加を請う木ノ宮の声。
そのまま無視してやったら、金と木ノ宮が戻って来て、其々俺の両腕を掴んで一言。
「「さぁ、行くぜ(わよ)!!」」

…そのまま、休み時間になる毎に、運動場端のベイスタジアム前まで連行された事は、もう思い出したくも無い。
五月蝿い奴がまた増えた。…只それだけの事だが、思い出すだけでうんざりする。
今日の様子では、明日からは木ノ宮とダブルでやって来そうだ。
……考えただけで気が滅入る。
其処まで回想して、ポケットから探り出した鍵を、鍵穴に差し込んだ。
「…?」
何時もなら返って来る「カチッ」という錠の上がる音が聞こえない。
試しにノブを回してみると、『鍵は掛かっていません』と言わんばかりに、あっさりと開く扉。
…朝、父と一緒に家の外に出た時、父は確かに鍵を掛けていた。
『…先に帰って来てるのか?』
滅多に無い事だが、父が先に帰宅している前例が無い訳じゃない。
何より、このマンションの警備と防犯レベルは、世界に名高い火渡エンタープライズ本社と似たり寄ったりのレベルなのだ。
『泥棒』『空き巣』『強盗』…それらの者達とはまるで無縁の、切り取られた世界にも等しい場所。
仮に玄関の扉が開いていたとしても、マンションの入り口から入れない以上、ちょっとした高層ビルに近い
このマンションの最上階に位置するこの家に泥棒達が入れる訳がない。
そう思いながら、軋み一つ上げない扉を開けて玄関の中に入り――――すぐさま妙な違和感に襲われた。
手近な場所から言うなら、靴箱に入っている父の革靴。
朝出掛ける時は、靴箱の中ではなく、靴箱の脇に揃えて置かれていた筈。
父は置き散らかす人間では無いし、今日こそ別の革靴を履いて行ったが、この革靴は普段履いている代物であって、
明日にでも再び履き替えるであろう革靴を態々直すとは、今までの父の行動からすれば在り得ない。
それに、普段履いている、朝出る時は父と一緒に並べてあったスリッパが、勝手にスリッパ掛けに戻っている。
何より、父の分まで戻っている――――父が戻ってきているのであれば、此処に父のスリッパがあるのはどう考えてもおかしい。
『誰が、別の人が居るのか?』
火渡エンタープライズ総社長である父の優秀な直属の部下の一人である、火渡エンタープライズ海外支社の重役を務める母が
この時間にこのマンションに来る可能性は、父の帰宅よりももっと在り得ない。
1年の殆どを海外で過ごし、日本に戻って来ても、本社に出社するばかりで、プライベートで顔を合わせる事など殆ど無い母が、来る訳が無い。
そっと玄関脇に背負っていた鞄を下ろし、ゴウは玄関から真っ直ぐに伸びた廊下の正面に位置するリビングのガラス扉をそっと押し開けた。


扉から首だけを部屋に突っ込み、見回したリビングは、矢張り小奇麗になっているように感じた。
そっと足を踏み入れ、部屋全体を検証しようとして――――ふと目をやったソファに居た“モノ”に、一瞬ぎょっとして身を強張らせた。
ソファにころりと寝転がって、すぅすぅと小さな寝息を立てて眠っていたのは、足元までありそうな長い黒紫髪を
紅いリボンで首元で軽く結った、父と同じ位の年頃の女性。
手に叩きを握ったままなところを見ると、如何やら家中が小奇麗になっているのは、この珍妙な侵入者の所為らしい。
泥棒が家を荒らしていったという話は聞いた事があっても、掃除していったという話は聞いた事が無いから、
それではこの人は、自分の知らないうちに父が頼んだ家政婦だろう。…そうとしか思えない。
仮に家政婦だとしても、出仕先の家で寝ているなど、本来なら在り得ない光景だったが、
何分、何があったのか随分幸せそうに眠っている寝顔を見ていると、起こすのは気が引けた。
ゴウは足音を立てないように、そっとソファの側まで近付き、片膝をついてこの奇妙な珍客の顔を覗き込み――
――その時、女性の瞼がうっすらと開いた。
「かい……?…」
そっと伸ばされた腕は、突然の出来事に仰天してその場に硬直していた俺の身体をいとも簡単に抱き寄せ、
訳の判らぬうちにそのまま抱き込まれてしまった。
「?!!」
頭の中ではクエスチョンマークとエクスクラメーションマークが彼方此方に飛び交うが、外見に似合わず細い腕は力強くて、
がっしりと抱き込まれている今では、もがけばもがくほどしっかり抱き込まれそうな状態。
少しだけ顔を動かして見上げた寝顔は、何だか先程よりも更に幸せそうで。
…秋に入りかけているここ最近の夕方は、日が翳ってくると肌寒くなる。
おまけに、如何やら父と勘違いされているらしいこの状況は何とも言えなかったが、
背中に回された腕や服越しに伝わる体温は酷く暖かくて、どこか懐かしくて、
朝から夕方、休み時間や放課後に至るまで、散々マコト達にベイバトルをさせられて疲れていたゴウは、その熱に引かれるまま眠ってしまった。





「…ゴウ?」
18時過ぎに帰宅したカイが玄関の扉を開けて見たものは、子供部屋を含む家中の部屋の光が一切点いていないという妙な光景。
おまけに玄関脇にはゴウの鞄が置かれていて、息子の几帳面な性格を知るカイにとっては、
此処に息子の鞄が置かれている事自体、何時もとは何かが違う事を感じさせた。
『部屋で寝ているのか?』…そう思ってゴウの部屋の扉を少しだけ開いて覗いて見るものの、ベッドの上に人影は見当たらない。
なら、リビングのソファで眠っているのだろうか?
…そう思いながら、壁のスイッチを押し、リビングの壁に付けられた小さなシャンデリアを点け、電球の黄色い光が満ちる薄暗いリビングへと足を踏み入れ、
「…何だ、これは」
思わず口から出た科白の原因は、視線を向けたソファの上。
薄暗いシャンデリアの光に照らされて尚、ソファの上でくぅくぅと眠っていたのは、先程から探していた愛息子と、
ベイの研究者を続けつつも、火渡エンタープライズ総社長を兼任していた父の跡を継いだ11年前まで一緒に同居していた、最も愛しき人。
ソファの上で眠っている女性―――レイ―――とゴウは、面識が無い訳では無いが、年齢的にゴウがレイの事を覚えている事はほぼ在り得ない。
何より、面識がないであろう相手と何故仲良くソファの上でお昼寝しているのか。
「…ゴウ、レイ。…起きろ」
ゆさゆさと其々を揺すってやれば、其々同じように小さな声を上げてその瞳を開ける。
「…カイ…?」
半ば寝惚けた声を出したのは、レイ。
漸くレイの腕の中から解放され、ゴウはまだ眠そうな寝起きの顔で、ソファに座ったまま眠そうに右目を擦っていたが、
「…久し振りだな、レイ」
たった今、自分達を起こした、先程まで自分を抱き締めていた女性を抱き寄せた父の顔は、とてもとても嬉しそうで。





…今まで見たことのない表情を見せた父達の様子を茫然と見守るしか術が無い。
今日はイベントの多い日だ。…然も、どれもこれも理解し難い出来事ばかりの。




















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 <UP:04.9.14>