『此処』に『今』、『自分』が居ること。
それは『生みの親』である両親が望んだ事であり、『俺』が望んだ事じゃない。
じゃあ、『俺』が『今』、『此処に居る』という、この大前提が狂った場合でも、『俺』という人間は『今』、『此処』に居られたんだろうか。
そして、『俺』と同じ運命を持つ『彼女』も、俺と同じように『此処』に『居た』んだろうか―――…
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Metamorphose ― 1 +++
日曜日、時刻は午前10時。今日は一般的に言われる「休日」の日。
今日は久々に1日中父が家に居ると、数日前の夕食時に本人から直々に聞いて、顔には出さなかったが、内心ちょっと嬉しかった。
木ノ宮達とベイのメンテナンスをするのも楽しい(多分)が、矢張りメンテナンスは出来れば静かな所で集中したい。
何より、父の在宅を聞いた時、父から譲り受けた、この気高く紅い鳳凰の聖獣が宿る青いベイのメンテナンスを、
久々に父の意見を参考にしながらやりたいと思ったのだ。
…が、その父は、1時間前に自分達2人分の朝食を作って手早く平らげると、さっさと何処かに出掛けてしまった。
…独りで居る事には慣れている。
けれど、父が自分1人だけを長時間放っておく訳が無いから、お昼頃にはきっと帰ってくるだろう。
世界に名立たる日本の巨大企業『火渡エンタープライズ』全社を総括する現社長の一人息子にして、未来の社長。
普通の小学生の身でありながら、世界でも有数の御曹司。
序に言うなら、父と同じくベイの腕も世界でトップクラス――――妙に長くなってしまった自分の肩書き(因みに年々長くなっていっている)に半ばうんざりしながら、
リビングの机に読みかけの本を伏せ、ゴウは父の所有物である火渡系列の高級マンションの最上階にあたるこの家の窓を開け放った。
窓から見上げた空は、秋に差し掛かり、夏の名残を少しだけ残す、透き通った青空。
暫し魅入られたように青空を眺めていると、太陽が雲の隙間から顔を出し、ゴウは眩しさに左手で顔に影を作り、目を細めた。
それから直ぐ、階下から聞こえてきたのは、トラックがバックする時の甲高い警告音。
如何やら引越ししてきた人でも居たらしい――――この高級マンションの家賃を考えると、随分な成金だと簡単に察しがつく。
何しろ、この高級マンションの家賃は、警備・防犯のセキュリティレベルが他のマンションと違って最高レベルな事だけあって、
一ヶ月で数十万円もするレベルのマンションなのだ。
故に、此処に住む住人は、全員が相当な成金ばかりだと簡単に察しがつき、引っ越してくる人間も必然的に成金だと推測できる。
窓辺を離れ、リビングのガラス戸を開けて、ベランダから下を覗き込むと、赤紫色の髪を高く上げてポニーテールにした
自分と同じ年頃の少女が、トラックからやや小さめのダンボールを抱えてマンションの入り口に歩いて行くのが見えた。
――――後から考えれば、俺にとっての“運命”は、この日から動き始めた。
月曜日。何時もと同じように父と一緒に朝食を摂って、家を出た。
『集団登校』は、俺には必要ない。
曽祖父の滅茶苦茶な経営方針のお蔭で、国内・国外を問わず世界中に商売敵を作っていた事が災いして、
『火渡家の嫡男』としてこの世に生まれてこの方、命を狙われた事は既に幾度か経験している。
一般庶民出の同級生達は、ほぼ誰一人として命を狙われた事など無いだろうし、狙われる事すらないだろう。
…だからこそ、一般庶民と集団登校した日には、その『一般庶民』が巻き添えを食って犠牲になり兼ねない。
最初のうちは、父と同じ送迎車を使って学校まで通っていた。…が、
マンションの玄関先で、近所迷惑な大声で毎朝モーニングコールを寄越してくる木ノ宮の所為で、徒歩通学せざるを得なくなってしまった。
そして今日も、学校へと向かう通学路を歩く俺の右隣では、木ノ宮が『っあ〜…いい天気〜♪』と
呑気にも両腕を空に伸ばして大欠伸を掻いている。
―――…何故か一瞬殺意が沸いた。
クラスに入って、窓側最後尾の自分の席に着くと、何やら何時もよりもがやがやと何事かどよめいていたクラスメイト達が、わらわらと近寄ってきた。
―――…より正確には、何故か俺の前に席がある木ノ宮の周りに、だが。
「なぁ!マコトはもうあの話、聞いたか?」
「?何の話だ?」
「転入生だよ転入生!」
「転入生ぃ?!それは初耳だけど…何処のクラスに入るんだ?」
「噂じゃ、このクラスらしーぜ」
「へぇー…男子?それとも女子?」
「まだ判らない」
「そっかー…ゴウ!転入生だってさ!」
背負っていた鞄を机の上に乱暴に放り出しながら、木ノ宮が窓の外を眺めていた俺の方に話題を振る。
「…大声で話すな。十分聞こえてる」
「どんな奴なんだろうなーやっぱ、ベイバトルの強い奴が良いな!」
「お前の希望で転入生が決まる訳じゃないだろうが」
「でもさ、ベイの強い奴が来てくれたら、休み時間のベイバトルももっと面白くなるぜ?
一緒に大会とか出れるかも知れないし、上手く行ったら親父達みたいに世界を回れるかも知れないし!!」
「転入生が1人入った位で世界まで行ける訳無いだろ、馬鹿」
「馬鹿とはなんだよ!…そりゃ確かに個人戦で世界大会まで行った事はあるけど、俺達は団体で世界大会まで行った事ねぇじゃん!」
「俺が勝ってもお前が負けたらそこで終わりだ。団体戦は却下」
「んだよー頭でっかちな奴だな!」
「お前の頭が無いだけだ」
「んだとこの!!」
「HR開くから席に着けー!」
木ノ宮の顔がじりじりと此方に詰め寄ってきた時、タイミング良く担任がドアを開けて教室にやって来た。
「今日からこのクラスに転入生が一人入る。…金、入ってくれ」
「是」
耳慣れない発音と共に入ってきたのは、ピンク色のチャイナ服を身に纏った少女。
元々全員私服で登校しているこの学校では、私服を着ている事自体は珍しくも何とも無いが、
その中で、絹の持つ独特な光沢を放つ本格的な模様が編み込まれたチャイナ服を着た少女は、転入生という背景も付いて余計目立っていた。
綺麗な赤紫色の髪はサイドで三つ編みに編んでいて、教卓の横に立ってクラス中を見渡した琥珀色の瞳は、
南側の窓から入ってきた光を浴びてより透き通った輝きを放つ。
「金 リンです。つい昨日、中国から引っ越してきたばかりです。まだ日本の事がよく判らないところもあるけど、宜しく!」
そう言ってぴょこっと頭を下げた彼女に、クラス中から歓迎の拍手が湧き上がる。
「皆、仲良くしてやってくれ。…ああ、席は南側から2番目の列の最後尾。火渡の横だから」
「…宜しく」
担任に案内されて、俺の右横の席まで歩いてきたリンはそう言って、にっこり微笑みながら右手を差し出した。
「…あぁ」
本来ならその手を撥ね退けたいところであったが、流石に担任の前でそれをすると、何かと後が煩い。
…俺は仕方なく、右手を差し出して彼女と握手する羽目になった。
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※ 『Metamorphose』 [メタモルフォーゼ]<独語/女性名詞> 「(形態・状態の)変化、変容」の意。
<UP:04.9.11>