カイが黒朱雀を連れて水上庭園を横切っていた頃、城の最上階の一室で、静かなる宴が始まろうとしていた。













+*+  青月長石 ― 4 +*+













「…一体此処は何処だ…?;」
数十分前、突然寝室に現れた女性―――朱雀―――に無理矢理拉致されたレイは、
幾度もの回廊と曲がり角の先にあったある部屋に、腕を引かれるままに連れ込まれ、
天井に届く高さの大きな鏡を持つ化粧台の前に座らされていた。
レイの正面、横に広く延びた化粧台の上には、煌びやかな色とりどりの宝石の輝く簪や冠や髪飾り、
紅・青・白・黒色の真珠の首飾りや、宝石の埋め込まれた指輪や腕輪が整然と並べられ、部屋の灯りと反射し合ってより豪奢に見える。
横壁へと視線を向ければ、何人ものレイが一斉に此方を見つめる合わせ鏡になっていたが、
この鏡の大きさもも尋常ではない――――何せ壁面全てが鏡という代物。序に見上げた天井も一面が鏡。
化粧台の背にあたる壁には、隣の部屋に移動する為の内扉が付いており、レイにとって背後になる壁も
出入り口の扉以外は全て鏡で覆われていた。
唯一の例外は、白いふわふわとした毛の絨毯が敷かれた床のみ。
宛らミラーハウスのような一面鏡の部屋で、レイは自分の置かれた状況を把握しきれず、途方に暮れていた。

この美しく奇妙な部屋に連れて来られた理由も良く判らないが、これから何をされるのかも良く判らない。
拉致される間も、『俺はあの部屋に居なくちゃならないんだ』だの『一体何処に行くんですか』だのと必死で訴えたが、
此方の言い分はいい加減にしか聴いていないらしく、何を言おうが適当な返答しか返さない
何やらとてつもなく楽しそうな上機嫌の顔をした、名も知らない女性に連れられてこの部屋に連れ込まれ。
漸くまともな口論が出来ると息を吸った途端にやんわりと『此処に座っていてね』と待機を命じられ、
言葉を切り出すタイミングを永遠に失ったレイを尻目に、女性はそのまま内扉の向こうへと消えてしまった。
「白虎…此処が何処だか判るか?」
困惑した声のまま、床の絨毯の上に丸まる白い虎の毛並みを撫でる。
属性違いの地で本来の力を中々取り戻せないレイには、白虎を長時間人型にさせられるほどの余力が殆ど無い。
人型から本来の動物形態に戻って床に伏せていた白虎はレイに名を呼ばれ、その金色の瞳でレイを見上げたが、
レイの不安を取り除く事は出来なかった。




「待たせたの」
「あ、あの、俺っ…!」
暫くの後、部屋の内扉が開き、扉の向こうに朱雀の姿を見つけたレイは、そのまま椅子から立ち上がった。
その様子を見て、朱雀は黒い鳥の羽根で出来た扇子を広げ、ひらひらとレイに向けて振ってみせる。
「まぁそう急かずに。…紹介は未だだったかの?」
そう言って、朱雀は自身の背後を振り返った。
「はい。…初めまして、公主様。
私はカイ様より公主様の身の回りのお手伝いを命じられました、マチルダです。
古来より御子の真名は呪を持ちます故、仮の名で御身を御呼びする事を御赦し下さい」
朱雀の背後から現れた、黒ワンピースに白いエプロンを身に着けたメイド服の少女は、
スカートの裾をちょっと摘み上げて軽く膝を曲げながら頭を垂れ、少しはにかみながら床に膝をつき、両手を合せて礼を取った。
「え?えっと…あの……“カイ”って…誰?」
思わず反射的に言ってしまってから、『今の発言は少女に失礼だったかも知れない』と思い、
レイはそっと二人の様子を伺った。
…案の定、余程間抜けな質問だったのか、桃色の短い髪を持った少女の目が丸くなっている。
「…そなた、紅い瞳に銀髪の髪の無愛想な男に会わなんだか?」
少女の隣に立つ女性の何処となく呆れを含んだ言葉を反芻し、レイは記憶を呼び起こす――――思い当たる人物は只一人。
「…若しかして、火焔の事か?」
そう言った途端に、桃色の髪の少女がびくりと怯えたように身体を震わせたが、レイにはその怯えの理由が判らない。
困惑を含んだ表情のまま、女性の方に視線を向けると、
「南領域の御子の“真名”を―――然も“呪”を含んだその音で発音出来るのは―――矢張り御身は西領域の御子かや?」
「……はい」
暫し後に、少女の怯えた理由も悟りつつ―――小さな声で返答する。


自分が御子であることに偽りは無い。
…唯、その正体が知れた途端に危険度が増す事は、滅多に白領から外へ出なかったレイでも知っている。
況してや今はこの地の属性が邪魔をして、聖獣と共に逃げ切れるだけの体力が元に戻っていない状態。
二人の正体が良く判らない今の状態で、自分の正体を現すのは半ば自殺行為でもあったが、
レイは、少女の言った『カイがレイの世話を頼んだ』と言った言葉に万一の望みを掛ける事にした。
嘘を吐かれていれば絶体絶命の状態に陥るだろうが、意識が戻ったここ数日は全く捕虜じみた扱いも受けていないし、
何より二人からは自分に対する殺気が全く感じられない。
完全に二人を信用するには甘過ぎる条件だが、殺されるというほどのものは何も感じない。
…となれば、このまま沈黙を守り、黙っている方がより不自然に見えるだろう。

それに、すっかり失念していたが――――御子の真名は特殊な呪を持ち、その発音は常人が話す分には“意味”の無い音しか発音できないが、
『半神』である御子がその名を口にする事は、その真名の持つ“本来の意味”を口に出す事となり、本来の意味は“呪”を伴って『音』と為す。
その呪の効力はその人の持つ名前の本来の意味を引き出し、魂の束縛すら可能とする為に、
常人にとっては一般的な呪いと同じだけの畏怖を持たせるには十分な効力を持っていた。
そもそも、常人には発音出来ぬ音を発音出来ると言うだけで、御子は普通の人ではないという一種の特殊性を持ってしまう。







少女の主人が南領域の御子で、自分が口に出した真名もまた、南領域の御子の真名。
御子が口にすれば、魂すら束縛するその呪を含んだ諱の音に、
主人の危険を己の身に降りかかった事のように反応した少女の怯えの理由に漸く理解が及び、
白領に居る分には真名など口にする必要が全く無かった分、自分の迂闊な発言をレイは内心で反省した。















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