―御子が御子の“真名”を呼ぶ事は危険なことだ―

先代の御子に、幼い頃から教えられてきた筈の『御子の規律』の1つを犯したという失態の重大さに気付いたのか、
長い黒紫色の髪を流したまま俯いてしまったレイを見遣り、朱雀は小さく溜息を吐きながら扇子を閉じた。













+*+  青月長石 ― 5 +*+













「…そう言えば、妾の自己紹介は未だであったな。
我が名は朱雀。この南領域と赤領の御子を守護する聖獣で、そこな白虎とは義姉弟の契りを交わした者よ」
「朱雀、って…あの“朱雀”?」
「如何にも」
「あ、えっと、…その」
「何を怪訝そうな顔をされる?
此処は南領域の御子の直轄領『赤領』の中心、御子の住む城じゃ。
妾がこの場に居る事はそう不自然な事ではないぞえ?」
「いや、その…」


無表情無愛想、おまけに無口な主と、社交的を超えてお節介の域に達しそうな、強引な性格の聖獣。
『よもや南領域の御子と聖獣のコンビが、こんなにちぐはぐな性格をしているとは思いませんでした』―――…等という失礼な事を
流石に本人を目前にしては言えず、レイは引き攣った複雑な笑みを浮かべた。




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「…所で、俺を何でこの部屋に?」
目前の二人の正体が判明し、何とか考えが落ち着いたところで、一番重要な疑問を口に出す。
「ん?…何、妾にほんの少し協力して欲しい、ただ其れだけの事。そなたがそう動けぬのは良く判っておるしな。
用が終わればちゃんと部屋に送り届ける故、心配は要らぬぞ?」
「いや、そう言うことじゃなくて…」
「何ぞや?若しや、早めにあの部屋に戻りたいとか?」
「はい」
自分としてはカイの忠告を無視する気は無かったが、朱雀に連れ去られたことによって
結果的に忠告を破ったことになっているレイとしては、一刻も早くあの部屋に戻って、カイに弁解しなければならない。
「ふむ…そんなにあの部屋が気に入ったとな…ふむふむ」
黒い羽で出来た美しい扇を口元に広げ、何やら次第にニヤニヤと怪しい笑みを浮かべて笑い始めた朱雀の顔を見て、
レイは何だか嫌な予感に襲われる。
「…あの部屋はな、元々カイの空閨なのだよ。
そなたを赤領内で保護した時、そなたの衰弱があまりに激しかったのでな…他の部屋の用意が
間に合わなんだその代わりに、カイの空閨を、そなたが回復するまでの間と割り当てたのじゃが…
そうか、そんなにあの部屋が気に入ったか」
朱雀は扇子を閉じながらそう言い、此方に視線を向けてにっこりと微笑う。
その笑顔に釣られ、今更思い出したかのようにレイの顔が真っ赤に染まる。
「火…いや、えっと…カイ?、…の、空閨?」
「そう、カイの空閨。
そんなに帰りたいと思うほどあの部屋が気に入られたのなら、この城に滞在する間はあの部屋を使うのが宜しかろうな。
…よし、妾が直接カイに『御子殿がカイの空閨を気に入ったと申しておったぞ』、と上告しておく故、
そなたはあの部屋でそれはもう心行くまで存分に、ゆるりと休まれよ」
「え、えと、あの、その…」
『空閨』の意味を悟ったレイはたちまちのうちに茹蛸のように真っ赤な顔になり、
慌てふためく思考の中、何とか反論を試みようと無意味に腕を振る奇妙な動きを見せるレイを見つめた朱雀は、
その目を細め、再び扇子で口元を隠しながら、レイにとって止めの科白を口にした。
「では、他の部屋が宜しいかの?
但し、普段誰も寝泊りするような部屋ではない故、今の部屋のような寝心地は保障出来ぬぞ?
…それでも、本っっっ当に良いのかの?」
その科白を聴いた途端、レイはぴたりとその奇怪な動きを止め、暫し視線をうろうろと彷徨わせ―――
「…今の部屋が、良い」
―――ぽつりと一言。

その一言を言った途端、相変わらず真っ赤に染まった顔を更に真っ赤に染めて俯いたレイの顔を見遣って、
朱雀は
『…勝った』
…と、内心ガッツポーズをした上で、更に己の主の顔を思い浮かべ――――ニヤリと不敵そうに微笑んだ。










「――――ふぅん…」
部屋の外、城の尖塔の中で最も高い塔の壁に設置された大時計の上に腰掛け、
子供のように足をぷらぷらと振りながら、金色の仮面を人差し指の先でくるくると回す
長い金髪を一本の三つ編みに編んだ少年は、壁一枚隔てた階下の部屋でやり取りされる会話を正確に聞き取りつつ、
黄山を薄く覆う薄霧の向こうにぼんやりと透けて見える赤領の街へと視線を向けた。
少年の持つ澄んだ蒼の瞳は、虹彩の所々に金色の粉を振り掛けたかのような、常人には在り得ない金色の光を宿し、
見る者に青金石―――ラピスラズリ―――のようなイメージを喚起させた。

「…そろそろ時間だね。行こうか、ポセイドン」
指の上で回していた仮面を被り、小さく呟いた少年は一挙動で幅の狭い大時計の上に器用に立ち上がり、
少年の右肩の上で向日葵の種を食べていた小動物―――ハムスター―――を手の平に乗せ、
懐の中にそっと入れると、そのまま軽く尖塔の屋根へ微かな音一つ立てずに跳ね上がり、
背後の黄山の崖を足場に、常人ならば絶対に登れない筈の頂上へと、空を飛び駆けるように登って行った。




……少年の姿を認知した者は、誰一人として居なかった。















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<UP:04.6.13>