代々、南領域を守護する赤領の御子が城中に張り捲らせた『呪』は、
ある時は見た目の高さや長さ、部屋の奥行き以上に長く広く、またある時は短く狭く、
『呪』の使用者である御子の意思そのままに、自在に時空を歪ませる事が出来る。
城に住み込んで仕える者達は、御子の『呪』に対する許可――――『呪』の持つ『次元短縮』の機能のみ使用が可能であり、
御子から『呪』に対する許可がない者――――即ち『侵入者』は、城の何処から侵入しようとも『呪』の効力圏内に入り、
延々と目的地に辿り着けない『呪』による『無限回廊』を彷徨う羽目になる。
この『呪』のお蔭で、『四領域の御子の住む邸の中では、赤領の火渡城は一番堅牢だ』という一種の伝説をこの城は持っていた。
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青月長石 ― 3 +*+
併し、それでも『御子』レベルの実力の持ち主ならば、この『呪』による防衛ラインをいとも簡単に突破する。
『半神』である御子と並ぶ実力者が一般庶民の中に居るとは到底思われなかったが、
現在の御子であるカイの代になってから、『念には念を。もう1つくらい罠を増やしても大差ないだろう』という意見が
城の防衛機構を補助している神官の意見と一致し、
カイは自身と同じくらい大きな符に、様々な呪を書き付けて城中に放った。
ある呪符は、侵入者に対し電撃を加える『雷呪』の効力を持ち、またある呪符は、符と対峙した侵入者の過去の記憶を掘り起こし、
現在と混同させてしまう『迷夢』の効力を持っていた。
逃れる方法は唯一つ。
赤領の王家から特別に許可が下りた者だけに所持が赦される『青月長石』――――それを身に着けていれば良い。
ピアス、ネックレス、ブレスレット、イヤリング――――カイの聖獣である朱雀よって様々な形にデザインされ、装飾されたそれらは、
『符』の製作者であるカイですら身に着けておかなければ『符』の攻撃対象となり得る強力な物で、
城中に放たれた数々の『符』は、通常の状態では半透明の海月のように、城の至る所で浮遊し、巡回していた。
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水の湛えられた水上庭園を横切り、塔の入り口へと続く複雑怪奇に入り組んだ庭園内の道の先――
――東の尖塔の五階の廊下奥に、火渡家の神官の執務室はあった。
長い螺旋階段を階上へと登っていく、その階段の窓からは、
カイ自身の執務室のテラス程では無いが、赤領のよく映える紅い屋根の街並を見渡す事が出来た。
そして、神官の執務室と塔の階段を繋げる踊り場から廊下へとカイが足を踏み出したその時、
「何かお困りですか、“焔王”?」
「…その呼び方は止めろ」
右手に延びる短い廊下の奥、まるでカイの来訪が予め判っていたかのように、
部屋の扉の横、袖を合わせるように拳にした片手をもう片手の手の平に当て、床に跪き礼を取る青年の柔らかい声が短い廊下に響いた。
「困っている時以外は来てはいけないという決まりでも出来たのか、此処は」
神官の秘書官を務め、同時にカイの幼馴染でもある青年―――天羽カオル―――に手招かれ、
『出来る限り此処には来たくなかった』とばかりに、微かに眉を寄せた不機嫌顔のまま、
黒朱雀と共に神官秘書室内へと足を踏み入れたカイの相変わらず毒を含んだそっけない物言いに、
カオルは顔に苦笑を浮かべ、
「では、今日は単にお父様にお会いに?進様、カイ様が――――」
目を見開き、明らかに動揺した素振りを見せたカイを尻目に、カオルは部屋の左方にある両扉の向こう、神官執務室に向かって声を投げ掛ける。
「カイ?!カイが来たのか!!」
半拍後、隣の部屋から扉越しのくぐもった声が聞こえた瞬間、カイの顔色が音を立てるように変わった。
黒いローブを翻し、カオルの脇を半ば駆け出しながら通り抜けて、隣の執務室に続く両扉に駆け寄ったカイは、
少しばかり執務室側から開きかけた両扉を凄まじい音を立てて押し返し――――閉めた。
扉の向こうでは、此方の部屋に続く扉を押し開けようとしていた人物―――カイの実父であり、神官である火渡進―――が、
カイが力任せに閉じた両扉に衝突した鈍い音が扉越しに聴こえる。
その扉の前では、まるで何十キロも走り続けてきたかのようにぜぇはぁと荒い息を吐くカイが、
その数歩斜め後ろでは、本来進の秘書官である筈のカオルが、一歩も動かずにカイの後姿を見たまま苦笑を浮かべて立っていた。
此処に来る度に一度は繰り広げられる光景に、黒朱雀は深い溜息を吐き、
「…カイ、神官様にお伺いを立てに来たんじゃなかったの?逆に閉じ込めて如何するのよ…」
…生まれて間もない息子が五百年ぶりの御子だと判明し、自らの手で育てる事が出来なかったとは言え、
当時の南領域の御子であった戒音に預けられたカイの元へ毎日通っていた進。
カイ自身も、幼かった頃はこんなに父親を邪険に扱ってはおらず、逆に息子らしい笑顔を見せていた。
――――一体、何時の間に父親に対する扱いが反転したのか。
カイが十歳の誕生日を迎えるまで、カイの側に始終くっ憑いていなかった姉の朱雀とは違い、
カイが生まれた時から、片時も離れずにカイの側に控えていた黒朱雀はその原因が何となく判っていたが、
本人にそれを言った所で一体何になるのだろうか。
扉の向こうで、現在の息子のあまりの仕打ちに執務室の本棚から取り出した――――幼き息子が只無邪気に自分に懐いていた、
『今や懐かしき人生薔薇色の日々が沢山詰った思い出のアルバム No.25』を抱き締め、
『昔はあんなに可愛かったのに…!』と涙する進が見えたような気がして、ある意味朱雀よりもカイの親子関係を深く知る黒朱雀は、
今また目前で起こった――――因みに、カイの実祖父であり、先代の火渡一族の当主であった火渡宗一郎による『御子』になることへの圧力と、
師にあたる戒音自身に御子の『運命』を叩き込まれるうちに性格が捻くれた事が、カイの対人関係を悪化させた全ての原因である――
――出来事に再度深い溜息を吐いた。
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<UP:04.5.16>