黄山・東領域『青領』。


麓に広がる青領の街を見下ろせる程の高さに建てられた広い邸の重厚な門が、
門番によってゆっくりと開けられた。













+*+  蒼茫輝石 ― 1 +*+













「いってきまーす!!」
「ま、待って下さいタカオ!!薬と手袋を忘れてます!!!」
門が開くと同時に、愛用の剣と刀を手にして広大な邸の外へと飛び出した“御子”は、
幼馴染みの静止の声をを辛うじて聞き止めたらしい。
「…悪ぃキョウジュ。久しぶりの外だからさ」
後ろ頭を掻き、苦笑しながら門からゆっくりと引き返してくる“御子”―――タカオ―――を見て、
『間に合って良かった…』と思わず安堵の一息をついてしまったキョウジュの横では、
一組の手袋と、小瓶に入った毒々しい緑色をした薬を腕に抱えた、呆れ顔の女官が一人。
「ホントにそそっかしいんだから…」
「んだとぉ!」
「何って、そのままの意味でしょ?」
「はいはい、2人ともその辺にして下さいね?」
視線だけで火花を散らす2人を見遣って、思わず呆れの溜息を吐いてしまったキョウジュは、
未だにタカオと火花を散らせている女官―――ヒロミ―――から薬と手袋の一式を受け取ると、
今度はタカオへと押し付けるように手渡した。
「タカオの準備が終わるまで待ちますから、睨み合いはその辺にして下さい…ヒロミさんも」
「「判った(わ)よ…」」
キョウジュに諭されて、漸くヒロミとの睨み合いを止めたタカオは小瓶の栓を抜き、瓶の口を咥えてそのまま上を向いた。
重力に従って、小瓶の中の緑の液体はタカオの口内へ流れ込み、その間に両手は手袋を嵌める。
小瓶の中身が空になり、両手の甲にある『印』が手袋で隠れた頃には、
嚥下した薬が効果を発揮し、御子特有の瞳の色を一般人のそれと同じものに変えてくれる。
「それじゃ、薬が切れないうちに行きましょうか、タカオ。
ヒロミさん、後は宜しくお願いしますね。…特に大地辺り」
「えぇっ?!アイツの面倒まで私が見るの!?」
「まだ寝ていますから、暫くは起きませんよ。大地が起きる頃までには戻ってくる予定ですから。
…ですよね、タカオ?」
「え〜…久しぶりに青領に降りるんだから色々見て廻りた――――…」
「タカオ…?」
ぎぃぃ…と、機巧人形の首が回転するような鈍さでタカオの方を向いたヒロミの背後から、何やら黒い気配が立ち上り始める。
「――――くないです……;」
蛇に睨まれた蛙というのはこういう状態を言うのだろうか。
黒い気配が自分に向かって鎌首を擡げているのをはっきりと感じ取ったタカオは、
これ以上ヒロミを怒らせるのは得策ではないと判断したらしい。
顔を引き攣らせて、ズルズルと後ろに後ずさる。
「い、いってきまーす!!」
愛剣と愛刀を持っている手とは逆の手でキョウジュの襟首をひっ掴んだタカオは、
そのままくるりと体を反転させ、後ろ向きに引き摺られる形になって何やら喚いている
キョウジュの叫び声も碌に聞かずに、一目散に門を飛び出した。
「あ、こら、逃げたわねタカオ!!!!」
「何だ〜何の騒ぎだ??」
ヒロミが着物の裾をたくし上げてタカオの後を追おうとしたその背後で、
まだ眠そうに目を擦り、半分眠っているような声を出しながら、寝室から廊下に出てきたのは大地。
「…ん?そんな所で何やってんだオバサン?」
「どうしてあんた達兄弟は…」
「あん?何だってオバサン?」
「どうしてそう余計な一言が多いのよっ!!!!!!」
「な、何だよいきなり!何一人で怒ってんだよオバサン!!」
「この口はまだ言うかーー!!!」
「な、何だよ…うわぁぁぁぁぁっ!!」
庭先に居たヒロミが、鬼のような形相で廊下に立っている自分の元へと駆け戻ってくる様に、大地の眠気も一気に吹き飛んだらしい。
大慌てて廊下を走って、ヒロミからの遁走を図る。
「待ちなさい大地ー!!!!」
ちらりと振り返ってみれば、怒りを通り越して最早般若の形相で自分を追い駆けて来るヒロミの姿。
「〜〜〜〜っ何だか判んねぇけど、落ち着けってオバサン!」
「落ち着いていられるもんですか!!!!」
このまま捕まってしまえば、山姥の煮物汁にでもされてしまいそうな恐怖を覚えた大地は、
今この邸で唯一ヒロミを止められるであろう、義祖父の部屋へと続く廊下を只管駆け抜けるしかなかった。



「つ、疲れた〜…」
邸で義弟がヒロミの犠牲になっているとは露知らず、息も絶え絶えになりながらも青領の街の入り口まで
一度も止まらずに全速力でキョウジュを引き摺ったまま駆け抜けてきたタカオは、
街角にある水飲み場までやって来ると、漸くそこで走るスピードを緩めた。
そしてそのまま、水飲み場の横にある腰掛けに二人して倒れるように座り込む。
「御免キョウジュ…大丈夫か?」
「な、何とか……暫く此処で休みましょうか」
「賛成〜…」
口をきくのも億劫になるほど疲れたらしいタカオは、ぐったりと背凭れに凭れたまま、
何とか右手をヒラヒラと振る事で返事を返した。















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<UP:04.3.23>