疲れた体を、引き摺るようにして向かう先は……
報告書を出さないといけない協会本部の事務ではなく、ミカヅチ学園に符術士としての腕を買われ、講師役を引き受けてる父親が宛がわれてる、
学園内に幾つかある研究室のひとつで。
気力だけは……求めた試しすら怪しいにかかわら、マサオミやユーマ辺りには冗談交じりで。
そうでないものからは畏怖と嫉妬混じりの意味で「鬼」と称されるほど在りすぎて、常に式神を降神させたままで居ることが多いのだが。
15を数えたばかりの体は、ほぼ休む暇さえ無く任務で振り回されているのもあって、気を抜けば意識の総てを暗い奥底へ持って行かれそうなほど疲弊しきっていて。
少なくとも、そんな状態で無理に向かうような場所ではないし。
ましてや。
行かなくてはならないと、半ば切迫した思いすら抱えて足を向ける必然性や義務など、微塵も在りはしないのだが。
それでも…………
図らずも、「渇望」という名の「魔」を知ってしまった、此の脆弱極まりない心は。
目指す其処で、ひとり。
形だけの警備員しか残っていない火が落ちた校舎に留まり、何時戻るか分からない自分の帰りを、やきもきしながら待ってくれて居るであろう存在を。
そのぬくもりを。
……終ぞ、求めて止まないから。
不意にぐらりと揺れる視界を、壁に手をついた状態できつく両目を閉じたままやり過ごし。
ガクガクと、ともすれば崩れ落ちそうになる足を叱咤しながら。
自分が張り巡らせた「結界」のお陰で、下手な妖怪は疎か。悪意を持った人間までもを半永久的に閉め出してくれるのもあって、
体面上配置している「だけ」の警備員が下手に巡回などしていなくて……この醜態を他人に見られなくて良かったと。
そんな些細なプライドを慮る余裕だけは、無駄に抱えたまま。
思いとは裏腹に、徐々に言うことを聞かなくなってきた体へ小さな舌打ちを零しつつ。
実父が火を灯して待ち続けてくれている研究室へ向け、もはや気力だけといった様相で、ゆっくりと体を動かしていたのだが。
《 しんどいなら、肩でも何でも使えばいいのに 》
久し振りに大規模な「陣」を敷いて、人の欲に釣られて集まったのだろう妖怪達を半分ほど蹴散らして、その上でごっそり伏魔殿へと送り返した直後で。
かく言うタンカムイも、「陣」の「要(かなめ)」をお願いしていた分だけ相当に疲れ切っているだろうに。
霊体で覗かせた貌は、そんな素振りなど見せない笑みで彩られていて。
「…………でも、出来れば……
父さんにはあんまり、此の事で心配させたくないんだ…………」
俺の、下らない意地だとは……重々承知してるよ。
そう言いながら。
いい加減揺れてばかり居ると思えば黒か、或いは白に奪われてばかりの視界に耐えきれなくなって、壁に背を預けたままズルズルと腰を下ろせば。
呆れきった風に、溜め息混じりに腰に手を当てて見下ろされてしまい。
《 ……こんな所で座り込むくらい疲れ切ってる時点で、既に遅いと思うよ。ヤクモ 》
他の契約式神なら兎も角。
何故か自分には何かと「甘い」と、ブリュネあたりに至っては素で泣きそうになりながら指摘されるタンカムイにしては珍しく、
少々「棘」の在る物言いに引っ掛かって首を小さく傾げてやれば。
仕方ないなぁ……とでも言いたげに溜め息を零され、ヒレ状の手を、苦笑混じりにやおら差し出されてしまった。
「…………式神、降神…………」
腰のホルダーに収められている、「源流」と冠された紅の神操機に触れる事無く。
ささやく声で……
けれども、「力在る言の葉」を紡いでやれば。
淡く清浄な光りと共に。
嘗て地上に降りた「神の仔」を守護するために分けられた「神の欠片」がひとつにして、闘神士という存在と、古き盟約に縛された「肉持つ神」が姿を顕わし。
「僕達が、耐えられないから。…………肩ぐらい、使ってよ。ヤクモ」
別に、普段から尊大な態度を取っているわけでもないし、契約者たる自分に意見を許さないなんて……「あの事」以外では厳命した試しもないのに。
平素のタンカムイからは、あまりにも想像できないほど控え目な物言いに………つい、素直に驚いてしまう。
存外に起伏の激しい彼の場合、それだけで十二分に機嫌を損ねかねないと分かっている頭の片隅が、めいっぱい警鐘を掻き鳴らしているのも聞こえてはいるけれど。
それ以上に………
「……………タンカムイに其処まで言わしめるくらい、俺って、無茶してる?」
瞠目させた瞳を、向けられた以上の苦々しさを含んだ微笑でぎこちなく返してやれば。
ふたたびの嘆息が、ようやく気付いたの?……とでも言いたげに、何時もの「彼らしさ」をほんの少し取り戻しつつ吐き出されて。
一層の苦みを、覚えて仕方がない。
「無茶しすぎだし、無理もしすぎ。
僕達にあんな事を厳命した尊大さと横暴さを、こんな時ぐらいはっきしないと………折角の“願い”も適わないまま、元の木阿弥にさせられちゃうかも知れないんだから」
それに………膝を貸して欲しいとか、一緒に寝ようとか。
そんな「お願い」が口に出来るようになったんだったら、もう少し頑張って口にしてみても、別に僕達は怒ったり不満に思ったりはしないんだよ。
…………とも、付け加えて。
前髪を優しくかき分けて額に当てられた手は、元の体温の差もあってひんやりと心地よい冷たさを湛えていたものの。
向けられる穏やかな眼差しや言葉は、得も言えない暖かさに満ち溢れていて…………
ある意味、自分以上に疲れている相手に気遣わせてしまう申し訳なさと。
そんな相手に気遣われてしまう自分への、自嘲さえ覚えてしまいそうな不甲斐なさと。
「すべて」を知った上で。
それでも、一向に迷う事さえ無く手を差し出してくれる「彼等」の存在が、ある意味「父親」の存在以上に、
今の「不安定極まりない」自分を唯一支えていると言っても過言ではないくらい、有り難くて。
その分だけ、やはり申し訳なくて。
宛がわれた手の心地よさに負け。
閉じてしまった瞼の奥がおもむろに熱を抱き始めたと思った頃には、一筋の……理由という「名」さえ定まらない雫が。
嗚咽さえ伴わず。
静かに頬を伝っては、よく掃除されている廊下へと落ちて行き。
「ごめん…………」
呟いた声の向こう。
バタバタと慌ただしく駆けてくる足音と、急かすような「声」が遠く……とうとう霞始めた意識の向こうで聞こえ始めて。
「だから、こんな時は“ありがとう”が正解だって」
ペチリ……と。
苦笑混じりにやわらかく指摘する声と一緒に、熱を移されて生暖かくなっている手を額へ。
痛くない程度に、ほんの少しだけ勢いを付けて優しく落としては、気が緩んだ所為もあって途切れそうになっていた意識を、ギリギリの所で何とか踏み留めてくれた。
「……………それも、そうだね」
言いながら。
気を引き締める意味も兼ねて、深い呼吸を2,3回ほど繰り返してから真っ直ぐに前を見据えれば。
ふわりと微笑むタンカムイと。
その向こうに、神操機から抜け出していたらしい霊体のサネマロを伴って、血相を変えた様相で駆けてくる父さんが見えて。
「ありがとう、みんな」
大丈夫か?!……と。
幾分か落とされた声を掛けようとした父さんが、思わず息を飲むくらい……と、後で苦笑混じりに聞いた笑顔をタンカムイに。
敢えて何も言わず、父さんを呼びに言ってくれたサネマロに。
そして、神操機の中できっと………いや、間違いなく心配してくれて居るんだろうブリュネと、タカマルと、リクドウへ向けて、ひどく凪いだ其れを静かに浮かべてから。
「ただいま、父さん」
廊下の壁に力無く凭れたまま、瞠目して自分を見つめている父さんへ両手をそろそろと伸ばして言えば。
「………お帰り、ヤクモ」
暖かくて、大好きな腕が。
優しく。
言葉なんかでは表しきれない慈しみでもって優しく、けれども力強く、かなり「役立たず」なくらい重く感じて止まない体を抱きしめてくれて。
………堪らず。
俺はもう一筋だけ、うれしさと哀しみを織り交ぜすぎた雫を、頬へと伝わせたのだった。
御題配布元: 『TV』