殺気混じりに繰り出される刃如きに、怯んでいる暇は無かった。


「ヤクモ!!印だ!」



 乞われる声に。
 体が、勝手に動いていた。

 容赦なく突き出されていたナイフに、篭手をかざしてやり過ごし、力を込めた呼びかけを。
 考えるのは……目の前の式神を倒し、マホロバを止める。

 ……ただ、それだけ。

 恐いとか。
 そんな事を考える暇も、余裕も。少なくとも、今の自分には抱けそうになかったし。
 だからこそ、相手にも抱かせるつもりも、毛頭無かった。



「行くぞ、コゲンタッ!!」



 篭手に突き立てられたナイフが、主を失ってゆっくりと落ちるのを視界の隅に捕らえながら。
 睨め付けるのは、目前の闘神士と……彼の式神。

 彼なら、大丈夫。

 目に見えない安堵と信頼が、視線をコゲンタに移す時間すら惜しんで。
 渾身の力を込めて刻むのは、必殺の「印」。



「破軍弧影斬!!」



 閃光と共に現れた白き獣が、慈悲深き顎(あぎと)でもってサネマロを喰らい尽くすのを見つめて。
 小さく、知らず止めていたらしい息を吐き出す。

 今更にして震える左手を、自覚するのを拒むようにして。



「ふっ、猿も木から落ちるって奴だ。
 ……サァ、急ぐぞ!ヤクモ」



 文字と共に消滅したサネマロに、コゲンタも溜め息を……それが安堵から来るものか、緊張を緩めたものかは分からないけれど……吐き出して。
 さりとて、休む間も考えず。

 くるりと返された踵は、既に走り出していて。

 肩越しに振り返った声だけが、急かせる音を枯れた森へ響かせていた。
 背を押す、温度だけは変わらないのに。



「あぁ……」



 視線だけで「大丈夫か?」と、刹那に寄越した意味合いを汲んで、短く。
 変わらない高さと、強さで答えてから。

 一瞬だけ。

 去来する感情に名前を付けられるほど、渦を巻いた思いを把握しているわけでも。
 ましてや、制御しているわけでもなかったが。

 それでも、一瞬だけ。

 昏倒しているマシラと、今まで自分を狙っていたナイフが、無惨にも突き立てられている闘神機を見つめて。
 何か……言葉を、紡ごうとするものの、結局は何を言いたいのかも分からなくなって。

 ……半ば、逃げるようにして。

 ヤクモは、先を行くコゲンタの背を追い掛ける為に。
 琥珀の奥底に「迷い」を漂わせたまま、けれど、返した背を振り返ることだけはしないままに。


 ひたすらに、前へと。


 先を行く鈴に誘われる形で。
 ヤクモは、緩めた「糸」を再び張り直す錯覚を胸に覚えながら。

 急ぐ足を、前方へと踏み出した。