感謝よりも、謝罪を。

 拒まれるだろうと分かっていると勝手に思い込む、脆弱で、幼さを笠に着た傲慢極まりない心は。
 ……終ぞ、其れらしい言葉すら満足に選べないまま。紡げないまま。
 ただ目の前に在る「ぬくもり」の証へと、癒えることがないのだろう深すぎる傷跡が訴える渇望に充ち満ちた手を、震えすら伴って伸ばしてばかりだから。



 ……ありがとう。

 今まで、深く……
 何よりも大切に、愛してくれた事に。



 そして、ごめんなさい…………

 諦めきった心が、それでも闇雲に求めて仕方ない「終幕」を。何れは、許されないと分かっていながら願い、選び取ってしまうだろう事を含めて。
 許さないで欲しい……と。
 忘れて欲しい……と。
 次いで思ってしまう臆病な自分を、穏やかな笑顔の奥で憂愁を湛えている心になど一切も残さずに居て欲しいと。

 叶わないと知りつつ。
 浅はかで、誰よりも愚かしい願いと分かっていながら求める事を止めない、此の何よりも「醜い」祈りを………



 誰よりも大切で、
  掛け替えのない、貴方へ。





    「百の言葉より 一の思いを」 <後編>





 用意した材料を食卓に並べ。
 闘神符の効力が切れたために「元の姿」に戻っているリクドウ共々、エプロン……とは言え、ヤクモはイヅナの割烹着を借りたのだが……を身に纏い、
十分に手洗いうがいをしてから。

 よし、始めるぞ!

 …………威勢だけは良いヤクモの声を皮切りに、結局は全員降神させての「シチュー作り」となるのだった。



「それにしても、タンカムイが手伝ってくれるとは思わなかったな……」



 手始めにジャガイモと格闘を始めたヤクモが、隣でタマネギの皮を器用に剥いているタンカムイに声を掛けた。
 帰ってくるや否や。
 自分達も手伝う!……と口々に言い始め、その勢いに気圧されるまま降神させてしまったヤクモとしては、ちょっと意外だったのだ。

 今日は、「父の日」で。
 今から作ろうとしているのは、自分の父さんであるモンジュに感謝の思いを込めて作るホワイトシチューであって、幾ら自分と契約を結んでいるとは言え、
そんな習慣に「自分に損になることはしない主義」を自負しているタンカムイまでもが、率先して協力してくれるなんて……
 タンカムイには悪いとは思うが、正直な話、かなり「予想外」だったのだ。

 リクドウは、言うまでもなく「無類の料理好き」だし。
 人懐っこいサネマロは料理自体に殆ど参加する事はないけれど、調理法に関しては時にリクドウ以上に詳しかったりするし。
 タカマルやブリュネは、多分…………俺の体調とかを心配して降神してくれと言ったんだろう。

 ……言っても。
 几帳面な癖に不器用なタカマルは、時に父さん並みの大惨事を台所にもたらすことが予想されたので、仕方なく「食器の準備」をお願いしたのだが。



「それってどういう意味?ヤクモ」



 ヤクモの困惑を察したのか。
 大きめの双眸をくるりと瞬かせながら、可愛らしく首を傾げてみせるのだが………その笑顔に含まれた「黒さ」を経験から察したらしく、
ヤクモに背を向けてニンニクの皮を剥いているブリュネの背中には、嫌な汗がねっとりと浮びはじめていた。



「ん…………何となく?」



 ……だが。
 不幸中のさいわいにして、タンカムイの毒舌の「餌食」になった事がない契約者は、何となくの「勘」に従って思ったままを口にしなかったモノの。

 完全に「誤魔化しきる」にしては「少し」どころか、「かなり」効力の弱い言葉を、至って呑気に首を傾げながらほのぼのと返すモノだから。
 ……殊更。
 他の式神達にしてみれば、自分達に後々で降りかかるだろう「八つ当たり」の嵐がひたすらに恐ろしくて、堪らなくて。



「舌は肥えてるでおじゃるから、味見役には最適でおじゃるよ。…………多分」
「それ以前にこの私が居るんですから、大船に乗った気で居て下さいね!ヤクモ」



 心なしか、慌てた風に。
 嫌な汗を見えないところにじっとりと浮かべたサネマロとリクドウが、すかさず言葉を挟ませて、必死の形相で繕おうとした笑顔を引きつらせつつヤクモを振り返った。

 一瞬は、その勢いに瞠目さえ見せるヤクモだったが、ちらりと視線を泳がせた先でブリュネの手が微かに震えながら止まっているのを見て、ある程度の察しが付いたらしい。
 つられた様にぎこちない笑顔を輝かせ、苦いモノを胸の奥へ盛大に飲み込む代わりに、

「…………うん。ありがとう、みんな」

 …………と。
 極力「当たり障りのない」言葉を選んで、降神させた式神達に均しく……安心しきった微笑を向けるのだった。





 それからは、料理達者なリクドウまでもがうっかり手を切ってしまいそうな自体は「かろうじて」起こらず。
 泣きながらブリュネが切りそろえたタマネギを、リクドウが手慣れた手つきでバターを溶かした鍋でじっくり炒め。
 其処に、ヤクモとタンカムイが談笑混じりに用意しておいた人参やキャベツを足して……タマネギが透明になって、
人参やキャベツが心持ちしんなりとしたところで水を足して火を強めて。

 浮かんでくる「アク」と戦ってください!

 ……と、冗談交じりにリクドウに手渡されたおたまを苦笑混じりに受け取って、ヤクモは大人しく鍋の前に立ったのは良いものの。
 度重なる任務は言うまでもないが、其れに拍車を掛けているのがモンジュの研究所に駆け込んだ分なのだろう。
ともすれば遠くなってしまいそうな意識は、ひどく不安定で……その得も言えない浮遊感が心地よいとさえ思えるほどでもあった。



「眠いなら、サネマロと一緒に寝てくる?」



 嬉々としてシチュー用の肉を準備しているリクドウの邪魔にならないよう、反対側からそっとヒレ状の手を伸ばし、
触れさせたのは櫨色(はぜいろ)の髪に覆われている額で。
 熱はないみたいだし……と、心配そうにさえ覗き込んでくる視線の暖かさに、苦笑めいた笑顔を見せて「大丈夫」と返そうと口元を緩めた。
 ……否。正確には、緩めようとしたのだ。

 だが、実際は余分なところまで緩んでしまったらしく。

 ぐらりと揺れた意識は、悲鳴じみた式神達の呼び掛けさえ満足に聞き取れないまま、遙か遠い夢の淵まで急降下を始めてしまい………
 咄嗟に伸ばした、ブリュネの逞しい腕の中。
 心配しきった貌で覗き込んだ式神達が呆れた息を吐きたくなるくらい、安堵と、安心しきった貌を安らかに微笑ませて、
ヤクモはすやすやと穏やかな寝息を立てて眠りこけていた。



「このまま、布団まで運んでくるであります」



 式神達の悲鳴に反応して、駆け込んできたのだろうイヅナに「大丈夫であります」と笑顔を見せてから。
 ブリュネは背中の羽根に気を遣いながら台所を抜け、最近ではすっかり「寝るため」だけの部屋になりつつあるヤクモの部屋へ、くるりと踵を返すのだった。
 その背を見送って、



「じゃあ、僕はヤクモの傍に居ようっと」
「承知。出来上がったら呼びに行く」



 それまで身に纏っていた、可愛らしいサーモンピンクのエプロンを綺麗に落ちたたんでからイヅナに押し付け、タンカムイがブリュネの後を追い掛ける。
 契約している5体と「対等」な存在であり、同時に「家族」でもあるとはばかり無く笑顔で答えるヤクモの元に集っているとは言え、
式神同士での微妙な上下関係……この場合、素直にタンカムイの口にブリュネが勝てないのが原因なのだろう……が密かに感じられる遣り取りを聞きながら、
ヤクモを起こさない程度の声音で呼び掛けたのはタカマルで。



「……そしたら、後は私とサネマロ殿で仕上げますか」
「そうでおじゃるな」



 予想通りか……と、小さくため息を零したサネマロの肩に手を置いて、もう一方の手に握りしめたままの万能包丁を怪しく光らせたリクドウが声を掛ければ、
何処か疲れた風に言葉と嘆息が返されて。
 慌てて駆けてきたものの、結局は疲労のピークに達したヤクモが倒れただけというのを見て察したらしい。
 出来るなら、倒れる前にきちんとした「休息」を取って欲しいモノだと、それすら許されないスケジュールを余儀なくしている協会に
愚痴めいた文句を憎々しげに零してから、手持ち無沙汰らしいタカマルに声を掛け、洗濯物の取り込みを頼むことにしたらしい。
 気付いたサネマロが肩越しに振り返れば……
 タカマルを付き従えて、イヅナが艶やかに伸びた黒髪を揺らして颯爽と歩き去っていくのが見えて、「吉川家の影の支配者」たる威風を感じて引きつってしまう笑顔を、
持て余し気味に視線を泳がせてしまった。

 …………と。
 其処に感じたのは、ヤクモとよく似た……けれども少し「異質」なモンジュの気配で。

 折角、「父の日」のプレゼントをきちんと渡せそうだと。
 何処か蔭のある……
 けれども、うれしそうにはにかむ様な笑顔を輝かせていたヤクモが、あの調子では少し気落ちしそうだとは思ったが………
下手に無理をさせては、それこそ要らぬ心配の種を増やしてしまい、「父の日」どころの騒ぎではなくなってしまうだろうと溜め息ひとつで諦め、
気持ちを入れ替える息を短く吐き出してから。
 やおら視線を目の前に戻せば。

 十分に熱したフライパンに放り込まれた肉達を軽快に踊らせるリクドウが、楽しげな鼻歌を歌っているのが聞こえた。