乞われるままに「理由」を口にしてみせれば、鳩が豆鉄砲を喰らった貌で呆然と、しばらくの間、サクッと意識を飛ばして瞬きを繰り返してたのに。
 程なくして。
 何かを思い出したかのように、柏手よろしく両手を打ち鳴らして、ひとりで勝手に納得して。

 ほわり……と。

 花開くように、はにかむ貌で。
 何時も以上の穏やかに微笑まれてしまえば、急に居心地の悪さを感じたヤクモは、視線を泳がせて、殻になった紙コップの縁ごと唇を噛み締めたい衝動に駆られた。

 契約を解除する前。
 他愛ない話のついでに、コゲンタが何だかんだ言って父さんに「逆らえない」って言った理由が、すっごい今は良く分かるかも知れない……

 そんな思いを抱きながら。
 自分も父譲りの……場合によっては、「それ以上」と噂されていた母親の分も含めて……見事な「天然」っぷりを発揮するという自覚が微塵もないらしいヤクモは、
一気に感じて仕方ない疲労感で肩を落としながら。
 ……もう一度。
 噛み締めるようにして、同じ意味合いの問い掛けをモンジュに投げ掛けるのだった。



「…………で、父さんは今晩何が食べたい?」



 本当は直前まで隠して、セッティングやら下準備やらをして驚かせたかったりするのだが……
 流石に。
 其処までは体力や時間の関係上、難しいだろうから。

 察しの良すぎる父親に、今日ばかりは「有り難い」とも「うれしくない」とも抱きつつ。

 すっかり苦々しくなってしまった笑顔を、再び……
 もう「石化」の呪縛から解かれているモンジュを確認するように、コーヒーを注ぎ足してくれている服の裾を軽く引っ張りながら、ヤクモは根気よく尋ね直すのだった。





      「百の言葉より 一の思いを」 中編





 半ば「受信専用」となりつつある携帯電話を取り出し、奇跡的に電池が残っていたことに小さな安堵の息を零してから。

 アドレス帳に登録してある番号を慣れない指先でぎこちなく呼び出してから、世の若者は……自分がそうであるのを棚に上げて……
よくもまぁ、こんな小さくて扱いづらそうな機械を好んで用いるモノだと。
 年齢不相応な感想を、同じポケットに入っていた闘神符へ視線を一瞬だけ向けつつ抱いてから。
 液晶に映された番号を確認してから、通話ボタンに親指を重ねた。

 ……と、その時である。
 隣を過ぎ去った主婦が一瞬だけ、隣に立つリクドウ……勿論。闘神符で「人間」に見えるよう細工してある……へと不審そうな視線を投げ掛けてきたのに
ドキリと心臓を跳ねさせつつ。
 しかし、それ以上は何も言わず。

 「目の錯覚かしら?」

 ……と、小さく呟きながら不思議そうに傾げた首を戻し、さっさと特売の品が陳列されている棚へ踵を返したのを見送って、リクドウと仲良く安堵の息を吐き出してから。

 気を取り直すようにして声を掛けたのは……
 「マホロバの乱」の頃からずっと、我が家の家事全般を仕切ってくれてる「吉川家の影の支配者」たる、闘神巫女イヅナである。



「あ、もしもし。…………イヅナさん?」
《どうしました?ヤクモ様》
「どうしたって言うか…………今日の晩御飯、俺が作っても良い?」
《其れは構いませんが…………》
「あ、リクドウと一緒に作るから!………それに、父さんみたいに台所破壊したり、食中毒以前に服毒死確実な代物なんて作らないから安心して!」

《………………当たり前です》



 ……折角。
 典型的な「お父さんっ子」だと散々言われまくっているお陰で「自覚」してきたヤクモにしては珍しく。モンジュへの批難めいた台詞さえ交えて「力説」して見せたのに。
 返ってきたのは至極冷ややかな言葉ひとつで……

 近くに居合わせた主婦の何人かが、それなりに貌立ちの整った人当たりの良さそうなヤクモが発した「過激発言」に耳を疑い。
 こそっと不審の眼差しを送っては、様子を伺っていたのだが……
 賞味期限の関係で、通常の販売価格から20円ほど値引きされていた牛乳パックを2本抱えたリクドウに、そっと肩を突かれながら、

「客引きじゃないなら、もちっと声落としたらどうです?」

 ………と。
 耳元でこそり言われたのに首肯してからは、幾分か大人しめの声量に抑えて「普通」っぽい会話を続けていたので、視線もじきに向けられなくなっていき。
 殺気が込められた其れならば、誰よりも早く……それこそ、戦闘に長けたタカマルやブリュネよりも気付くのが早いと舌を巻かれるくらいなのに。
 好奇をはじめとした視線や思惑には、相も変わらず「とんと疎い」契約主の朴念仁っぷりに、リクドウは隣にいるヤクモに聞こえないほどの小さい嘆息を零してから。
 電話先のイズナに冷蔵庫の中身を聞いているらしいヤクモの耳元へ、そっと……自分の耳を寄せた。

 下手なものを買って「影の支配者」の雷を落とされたくないと心底思っているのは。
 ……哀しいかな、ヤクモだけではないのだからと。

 それこそ。
 「下手な言い訳」でしかない重い嘆息を、「幻」という文字が浮かんだ闘神符に四方を固められているリクドウが、鬱々と胸中に落としながら。



「……うん。牛乳は安いから2本買おうと思ってる」
《では、人参と卵もお願いします。あとは…………》
「シチューのルーって、買った方が良い?」
《そうですね。お願いします》
「お酒は…………止めておいた方が良いのかなぁ」
《飲めるようになってから、悩まれた方が良いかと思われますよ。ヤクモ様》

「…………どぉせ、俺は父さんと違って“下戸”ですよ…………」


 聞こえてきた内容に、リクドウは小さな苦笑を滲ませて。
 ズボンに付けているホルダーで大人しくしている紅の神操機では、降神されていない残り4体の式神が、
無駄に仲良く、腹を抱えて転がりあって居るに違いないと思えば……更なる笑いが込み上がって仕方なかった。

 父親のモンジュは「嗜む程度」などと無意味な謙遜を口にしてばかりだが、実際はアカツキ……ヤクモと契約する際に「コゲンタ」と名を変えたが、
基本は同じ式神である……が呆れるほどの「うわばみ」で。
 彼の酒豪っぷりを知る仲間内では、密かに、「ザル」と囁かれ。
 ……こと、ビールを「水」だと断言できる辺りから、タンカムイに「網なんか既に無いから、あんなの“枠”で十分」とさえ溜め息混じりに言わしめる程度には、
十分、酒に強いのだ。
 しかし、その反面。
 息子のヤクモは…………正月に用意される「御神酒(おみき)」を一口飲んだだけで、頬を朱に染めて欠伸を噛み殺すほど酒に弱かったりする。

 ヤクモが生まれると同時に命を落とした、今は亡き愛妻を脳裏に浮かべながらだろう。
 息子の酒の弱さが「母さん譲りかもなぁ……」と呟いたモンジュの瞳には、うっすらと、物哀しげな雫が浮かんでいるように見えた辺りから察するに、
ヤクモの母親も相当の「下戸」だったのだろうと予想している。
 ………だが。
 母親の話になると、何故かヤクモの貌まで一緒に翳ってしまう……捉え方によっては、自分の所為で母親を殺したとも取れるので、
ある意味仕方ないとは思うが……のが嫌で。
 ヤクモと契約を交わす、自分達「式神」は疎か。吉川家に出入りする人間……この場合、ヨウメイや飛鳥兄弟。
そして、時々「丼」片手に現れるマサオミを指すが……には均しく課せられる「禁句(タブー)」のひとつとして、
イヅナから密かに「絶対口にしないように!」と厳命されていたりする。

 ……勿論。
 当のモンジュやヤクモは知らないだろし、気付いても居ないだろうが。


 そんな事にリクドウが思いを馳せている間に、イヅナとの会話を終わらせてしまったらしい。
 通話ボタンをもう一度押してから携帯を折りたたみ、無造作にズボンのポケットへとねじ込ませたヤクモが、
思案貌を見せるリクドウに気付いて声を掛けてきたので、慌てて思考を現実へと引き戻した。



「…………で、後は何をお求めで?」
「人参と、シチューのルー。あとは、食べたかったらおやつって言われたんだけど………何か、欲しいか?」
「おやつねぇ……昨日作っておいた豆乳アイスなら、冷蔵庫に残ってますよ?」

「じゃあ、それ。リクドウの作ったアイスなら、そんなに甘くないだろうし」



 構わないよな?……と。

 人が多い夕方のスーパーで騒ぎを起こせないから、神操機の中で大人しく息を潜ませてくれている式神達に、一応、確認の声を小さく掛けてから。
 銘々に返される「声」に目元を穏やかに細めながら、こっそり頷き返しているヤクモを微笑みでもって見つめながら。

 リクドウは、「特売品」と大きく赤で書かれた文字の下。
 ビニールに3本ずつ袋詰めされたまま山盛りになってる人参の中から、特に状態の良いモノをじっくりと吟味しはじめるのだった。