本来のアパート経営者である太刀花ソウタロウが姿を消した今、その孫の太刀花リクが代理経営者を務めている太刀花荘の1階。
丁度夕刻時に、ヤクモは伏魔殿から、直接太刀花家へと繋がる障子を召喚したのだが……
小気味のいい音を立てていざ障子が開いた途端、食べ物が焦げて炭になる一歩手前のような、
お世辞にも『良い匂い』とは言えない微妙な匂いが鼻をつき…思わぬ異臭に思わず鼻に手をやったところで、
目の前の部屋―――如何やら居間らしい―――の机の上に、上体を投げ出すようにばったり倒れ伏している小柄な少年と、
その横で霊体状態でオロオロしている、タカマルに似た外見の小柄な隼の式神が目に入った。

「大丈夫か?!」
「……………」
障子の向こうから飛び出し、声を掛けると…少年――――ソーマは変わらず無言で突っ伏したまま、ぐったりしながらも、とある方向を指差した。
「…何だ?」
「そっちは台所です」
隼の式神――――フサノシンが諦めたような口調で嘆息しながら補足し…言われるがままにヤクモは歩を進め、台所へ通じる戸を開けた。


…後日。
『久々に生死を彷徨うかと思った』―――…と、ブリュネにぽそりとこの時の心情を呟いたヤクモが居たという。





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―――…太刀花家のあるアパートの2階の1室をリクに提供してもらってから、今日で2日目。
卓袱台の上に、淹れ立てのお茶が入った茶瓶と空の湯呑み茶碗を置いてから、ヤクモは2階の窓を開いた。
眼前に広がるのは輝く太陽と、白い雲が所々に浮かぶ真っ青な青空。
春特有の暖かい風が吹き込み、ヤクモは眩しさに目を細めた。


「…何か用?コゲンタ」
先程から背後に感じる懐かしい気配に、微かに微笑いながら振り返れば。
「…暇になったから上がってきただけだ」
相変わらずぶっきらぼうな言い方しかしない、白虎の式神が戸口の柱に凭れ掛かっていた。
「リクは?」
「下の居間であいつらとババ抜き5回戦勝負をやってる」
「コゲンタも参加してくれば良かったのに」
「冗談じゃねェ」
ヤクモが太刀花家に現れた2日前の昼過ぎ、つまらぬ事でリクと喧嘩をして、又も冷凍庫の中に神操機共々闘神符で封印されてしまい、
彼と契約した式神だと言うのに、彼を諌める事も適わず、
リクの作る『夕食』とは名ばかりの『殺人料理』の調理を引き止められずに、ヤクモ諸共甚大な被害を出してしまったコゲンタとしては、
今暫くは再びリクを怒らせる原因は極力作りたくないらしい。
「…ま、別に俺は構わないけど」
『座ったら?』と卓袱台の向こう、自分の正面を指差し、ヤクモはコゲンタに手招きをする。
一拍の後、一度瞳を閉じて小さく溜息を吐いたコゲンタは戸口を離れ、尻尾の先の鈴が澄んだ音を立てた。





「あ〜美味しい〜…」
「爺臭いぞ、お前」
薄く湯気の立ち上る湯呑みを持って、一口ずつ飲んでは至福の表情を見せるヤクモを見て、
向かいに腰を下ろしたコゲンタは思わず呆れた声を出した。
『暫く会わない間に、随分長閑な性格になったもんだ』と、表面的な見解を心の中で零し、窓の外に広がる青空へと、その紅い瞳を向けた。


「…コゲンタ」
湯呑み茶碗の中のお茶を全て飲み干したらしいヤクモが、湯呑みを卓袱台に戻し、新たに茶瓶からお茶を注ぎながら話し掛ける。
「あ?…茶ならいらねぇぞ」
「そうじゃなくて…一つ、訊きたい事があるんだ」
「何だ?」

「…何故、その“名”を…再び“契約”の名に使ったんだ?」

『リクが同じ名前を口にしたのなら別だが』と、直ぐにフォローを入れ、ヤクモは湯呑み茶碗へと口をつける。
「さぁな。…俺にも判らねぇよ」
がしがしと頭を掻きながら――――尻尾を揺らめかせてコゲンタが答える。
「リクが俺を喚んだ時は随分切羽詰ってやがったからな。悠長に名前を考えてる間なんてなかっただろうしな」
「…それは俺も同じなんだけどな」
何かを思い出すように、何処か遠い目をして小声で呟いたヤクモの呟きを聞きとがめ、
「何か言ったか?」
「いや。…何でもない」
呆れに近い小さな溜息を零してから、徐に湯呑み茶碗のお茶を啜るヤクモを見て、
白虎の式神は小さく首を傾げ――――それでも、それ以上の事を追求することは無かった。








「…最後に、もう一つ訊いても良いか?」
「何だ?」
「もし、この先リクとの契約が解ける事があったなら…お前は如何するんだ?」
「如何するもこうするも…闘神士と契約を解いた式神は式神界へ還る事しか出来ない。
闘神機か神操機か闘神符…式神を喚び出して、其処に式神が宿れるだけの媒体がなけりゃ、地上をうろつく事は出来ねぇからな」
そう言って、腕を組み、再度尻尾をゆらゆらと振ってみせる。
「でも……そうだな。式神界へ還る前に、伏魔殿にでも行こうかな」
「伏魔殿?」
「伏魔殿の中にある、昔黄龍が治めていたフィールド…あそこなら、俺も暫くは居られるだろうからな」
「黄龍…?…あぁ、ゲンタロウの居る?」
「そう、あそこだ。……お前と逢うには、伏魔殿が一番だろ?」
「…確かに」
「つまり、式神界へ還る前に、俺の処へ挨拶に来てくれると?」
「…あ〜…そういう無駄に察しの悪いトコロはモンジュに似てるよなぁ…」
「失礼だぞコゲンタ!」
「あーもう!俺が言いたいのはそう言うことじゃねぇ!!…闘神士ヤクモ!!」
「何だよ!」
「俺は、お前が何処まで強くなったのか、見せてもらいに行くんだよ」

「…容赦しないよ?」
目を丸くして、一瞬呆気に取られた表情を見せたものの…徐々に不敵な笑みを浮かべたヤクモに、
「当たり前だ。…全力で掛かって来い」

  『この白虎のコゲンタ様を、承伏させられるものなら承伏させてみやがれ』

…6年前の、彼の『守護式神』としての降神ではなく、一人の“闘神士”と“式神”として。
彼が、自分を使役できる力量を持っているのか、再び契約を結び、使役されるに値する闘神士になっているのか。


  …願わくば。
  再び、共に翔けて行きたいと。
  彼等親子と共に闘って行きたいと。

  …心の底で願わずには居られない。


「…もし、俺が勝ったら?」
「その時は、お前の望むようにすれば良い。
…契約するのも、俺を倒して輪廻させるのも、闘神士たるお前次第だ」
「…じゃあ、尚更コゲンタには負けられないな。
父さんも、珠に『アカツキ〜…』って、淋しそうにしてるし」
笑いながら言うヤクモの科白に、元契約者のモンジュの姿が脳裏にフラッシュバックされ…変わらないその様子に、思わずコゲンタは頭を抱える。

「…ま、リクとの契約が切れたら、…の話だけどな」
ゆっくりとヤクモの正面から立ち上がり、玄関へと向かう“相棒”に、
「あぁ。…それまで、しっかりリクと“信頼”し合える“絆”を作っておけよ」
「無論」
振り返ってコゲンタは不敵な笑みを見せ、ヤクモに背を向けて部屋から立ち去った。


  ―――…何があっても“信頼”できる。
  共に闘って、お互いの背中を、命を預け合って。

  …何よりも。
  共に歩いていける、そんな大切な“家族”で在りたいと。



コゲンタが去った部屋の中、窓の外で桜の花びらが蒼穹の空に舞い上がっていくのを、目を細めてヤクモは見上げていた。




and more...