午後12時半。
新太白神社の境内の端、階段の直ぐ前に立ったマサオミは、背後で並んで立っているヤクモとナナに、
「じゃあな」
「あぁ」
「そっちのお嬢さんも」
「…そう言えば私、アンタの名前まだ知らないわね」
「あ〜…そう言えばそうだったな。
…一応、こっちでは“大神マサオミ”って名乗ってる」
『本当の名前は違うんだけどね〜』
ドライブホルダーに収まった極神操機から再び顔を覗かせたキバチヨに、
「キバチヨ、余計な事は言わなくていい」
『判ってるって』
「私の名前は北条ナナ。
…この先何処かで会う機会があったら、また会いましょう」
晴れやかに笑って手を差し出すナナと握手して、
「…だな」
彼女と初めて会った時の事を思い出し、『今度は穏便な出会い方をしたいものだ』という個人的希望は、心の中で呟くに留めておく。
「…とは言え、静養と再修行も兼ねて、当分此処に逗留しなきゃいけないんだから、会う機会なんて幾らでもある事には変わりないんだけどね」
「まぁ、俺としては、家の中が益々賑やかになって嬉しい限りだけれど」
背後から聞こえたのは、この場に居る筈の無い女性の声と、本殿に残っていた筈のモンジュの声。
「…え?」
「う゛っ…」
瞠目して直ぐに背後を振り返ったナナと、同じく瞠目したものの、その表情は一瞬にして真っ青になったヤクモは、ナナとは対照的に、のろのろと背後を振り返る。
「お姉ちゃん!何で此処に!?」
「何でって…あまりにも妹の帰還が遅いものだから、こっちの仕事終わらせてから、ついさっき鬼門経由でこっちへやって来たのよ。
…何でこんなに任務遂行に時間が掛かってたのかも、モンジュ様に先に聞いたわよ。…ヤクモ君」
眼鏡越しに目を細められて、ナナはばつが悪そうに目を逸らす。
マリはそんな妹の様子に、微かに口元に笑みを浮かべ、続いてナナの隣で少々青い顔で此方を見つめたまま、棒のようにその場で固まっているヤクモへと視線を移す。
「…はい」
「ナナを一晩中ずっと庇ってくれてたんだってね。有難う」
「いえ、…」
背後から見ていても、ヤクモが冷や汗を掻いているのが判るマサオミには、目前の2人をフォローする言葉が見当たらない。
「それから、其処にいる……えーっと、確か神流の…」
「大神です」
「あぁそうそう、大神君。君も、2人を助けてくれて有難う」
「いや、俺も偶々山の変化に気付いただけですから」
よもや闘神符に追われ捲っていたとは言えず、マサオミは微妙な笑みを浮かべる。
マリはそんなマサオミの心中に気付く事無く、微かに首を傾げて微笑する。
「…さてと。俺は帰るぜ」
「あぁ、気を付けてな」
「…そうだ、これからリクの処へ行くつもりなんだが…何か伝言とかあったら伝えとくぜ?」
「リクの処?
…そうだな、“先日封書で送った、例の件の処理を頼む”とだけ伝えてくれ」
「そんなのでリクに伝わるのか?」
「あぁ。我らが天流宗家様には、そう伝えるだけで十分だよ」
腕を組んで妙に策士めいた笑みを浮かべるヤクモの狩衣の袖を左手で掴んで、右手で衵扇を広げて顔を隠し、必死で笑いを堪えているらしいナナの姿に
一抹の疑問を覚えつつも、マサオミは了承の返事を返すと、階段を降りて、階段脇に止めてあったバイクに乗り、エンジンをかける。
「じゃあな!」
「「バイス!」」
階段下で再度手を振ったマサオミの後姿が見えなくなるまで、ヤクモとナナは境内から見送っていた。
天神町・めぞん太刀花。
「リクー居るかー?
京都限定湯豆腐弁当買ってきたぞ〜…っと、お邪魔します太刀花さん」
玄関を開けて、つい一年前と同じように声を掛けてしまったマサオミは、居間から顔を出したソウタロウの顔を見て、慌てて頭を下げた。
「ほっほっ、どうぞお上がり。リクなら直ぐに来ますから」
そう言ってソウタロウは笑うと、手招きして玄関前に立ち尽くしていたマサオミを玄関の中に招き入れる。
「あぁ、此処で結構ですよ。直ぐに帰りますから」
軽く手を振って見せると、ソウタロウは微かに笑って居間へと戻っていき、入れ替わるように奥からリクが顔を出した。
「マサオミさん!…如何かしたんですか?」
「いや、今京都から天神町に来たばかりでね。京都限定湯豆腐弁当を買ってきたから、ほら、お土産代わりに」
「わ、有難う御座います」
笑みを浮かべて、リクはマサオミが差し出した弁当の入った袋を受け取る。
「あぁ、あと、吉川から、リク宛てに伝言を預かってきた」
「ヤクモさんから?…何だろう?」
「えーと、確か、『先日封書で送った、例の件の処理を頼む』って、伝えてくれって言われたんだが」
「あーっ!そうだった!!」
『忘れてた!』と、リクにしては珍しく大声を上げると、直ぐに立ち上がって踵を返し、奥へと駆け戻って行く。
「お、おい、リク!」
「マサオミさんは其処で待っていて下さい!直ぐに戻ります!!」
「はぁ……一体、何だったんだ?あの伝言は」
『何だろうね〜あの子があんなに慌てた顔を見せるの、本当に久し振りに見たような気がするし』
茜色の光が差し込む玄関先で、そんな他愛も無い会話をしていると、宣言通り、リクは直ぐに戻ってきた。
そして、部屋から持って来た封書を徐にマサオミに差し出す。
「…若しかして、俺宛て?」
「はい」
「差出人はっと…吉川?」
「はい」
「何だよアイツ。用があるなら京都に居るうちに言えばいいものを…って、何だコレは」
封書を破いて、中から出てきたのは『請求書』。
一覧に書かれていたのは、大神マサオミ宛ての吉川家修復代+何時ぞやの食い逃げ食事代を含む『賠償請求』。
「僕がマサオミさんから回収するよう、ヤクモさんから頼まれてますから、後で今月の家賃と一緒に回収させて頂きますね」
邪気のない笑顔を浮かべて、リクはマサオミにあっさりと宣言する。
「…アイツ……俺がリクに勝てないって判ってて、こんな姑息な手を…!」
『見事な先手だね〜道理で、マサオミ君が伝言受け取った時に、あの2人があんな顔してた訳だよ』
『見事な墓穴を掘ったね〜』と笑うキバチヨとは対照的に、ぶるぶると震える手で掴んでいる書面をマサオミは睨み付ける。
差出人はヤクモであるが、恐らくこの分ではナナもこの請求書の事を知っていたのだろう。
そうでなければ、伝言を受け取った時、彼女が必死で笑いを堪えていた理由が判らない。
…そもそも、先日山の中で片輪車から逃げていた時に、ヤクモが自分に言った科白は『謝って済むと思うなよ?』ではなかったか。
そして、午前中に吉川家に謝罪に行った時も、ヤクモだけ妙に歯切れの悪い赦し方だったような気もする――――今頃気付いてももう遅いが。
半年前の陰陽大戦終結の少し前から、相変わらず横に座ってにこにこと笑顔を浮かべているリクには勝てないマサオミは、がっくり項垂れて請求書を受け取り、
「畜っ生ぉおぉぉ!!!!」
まんまと京都に居る天流コンビにしてやられたマサオミの絶叫が、天神町の茜色に染まった夕焼け空に響き渡る頃には、
「そろそろ受け取ったかしらね?この間出した請求書」
「そうだな、そろそろ天神町に着く頃だろうし…
…あぁ、何なら慰謝料も書いておくべきだったかな?」
「それ位はあの安い素麺で勘弁してやりなさいよ。…お蔭でお昼代が浮いたんだから」
「そうだな。安い素麺でも、リクドウのお蔭で美味しく頂けたことだし」
「私、安い素麺であんなに美味しいと思ったの、今日が初めてだったわ」
『お褒めに預かり光栄光栄!いや〜御口に合ったようで良かったですわ』
『…黒鉄の。今更だが、お前も随分変わった式神だよな〜…。
…ヤクモ、お前まさか伏魔殿で調理出来る式神と契約したいとか思って契約したんじゃないだろうな?!』
「まさか。…まぁ、それもあるけどさ。リクドウの作る料理は一級品だし」
天神町と同じく、茜色に染まり始めた京都の空を見上げていた2人は、薄暗くなり始めた新太白神社の渡殿の柱に寄りかかり、
零神操機から半透明の霊体姿を現したリクドウとコゲンタを交えて、くすくすと笑い合う。
そんな2人が見上げていた夕焼け空を飛んでいた一羽の黒い鴉は、一際甲高い鳴き声を上げて東の空へと翼を翻し、飛んで行った。
<UP:05.12.20/Re−UP:06.7.28>