午前9時半。

 「…さて、何故呼ばれたのかは判ってるよな、2人共」

淡い空色の狩衣を纏って腕を組み、本殿の祭壇に背を向けるように座っているのは、不自然なまでににっこりと笑顔を浮かべるモンジュ。

 「「…はい」」

モンジュの正面に並んで座っている、紺色の狩衣と淡い桃色の汗衫姿の2人――――ヤクモとナナ――――は、モンジュの浮かべた笑みを見て、
心の中で盛大に重い溜息を付いた後、項垂れたまま返事を返した。
正面に座っている、自分達の後見人であるモンジュがこの笑顔を浮かべているという事は、単に頭ごなしに怒られるよりも更に性質が悪い。
自分達の当時の状況と判断を聞いた上で、やんわりと間違いを指摘し、怒鳴り声を出して怒るのではなく、滔々と諭すように説教が延々数時間に渡って続くのである。
これならある意味、イヅナに怒られた時のように、短時間で強く怒られた方がまだマシかも知れないとヤクモは思い、
ふと脳内に浮かんだ闘神巫女の笑顔の裏に隠された激怒具合の末恐ろしさに、思わずその想像を振り払うようにヤクモはぶんぶんと首を振った。

 「まず1つ。2人揃って体調が良くないから、早めに闘神を終わらせなければならないと言う事は判っていたよな?」
 「「…はい」」
 「朝帰りしなきゃいけないほど、女郎蜘蛛はそんなに強かったのか?」
 「…いえ」
 「数が多くて、そこそこ強かったのかも…知れません」
 「仮に、敵が強かったり、数が多過ぎたとしても、梃子摺りそうだと判断した地点で、『帰りが遅くなる』とか『増援を頼む』とか何とか、
伝令符でも使って家に連絡するのが普通じゃないのか?」
 「…全く以ってその通りです」
 「…御免なさい」

モンジュの口調は殆ど普段と変わりなく、責める口調で話している訳でも、顔が怒っている訳でもないが、放つ気配が明らかに怒りを纏っているのが判るからこそ、
2人は益々小さくなる。
最近は滅多に怒られなくなったのだが、先日の対女郎蜘蛛退治戦では、一晩中、連絡1つ寄越さず――――と言うか、到底連絡している余裕など無かった、
と言うのが実情だが――――に朝帰りした挙句、更に、どうにか動ける程度にまで体力が回復するまで、双方1週間近く寝込んでしまった身の上としては、
文句を言おうにも、先日の対女郎蜘蛛退治戦で常に最善の策を取ったとは到底言い難いが為に、最早何を言われても反論など出来ず、ぐうの音も出ない。
ヤクモもナナも、モンジュが後見につく前から、闘神符を使用した闘神は行っていたが、伝令符を始めとした更に高度な符術を伝授したのは、
目の前に座って末恐ろしい笑みを浮かべているモンジュであり、受け継いだ技術を以ってすれば、連絡出来なかったなどとは口が裂けても言えはしない。
因みに、『連絡を寄越す余裕がなかった』と言う事だけは、ヤクモも反論を講じてみたが、『この先連絡出来なくなるという可能性を常に考慮して、
実際連絡出来なくなる前に、先に連絡を寄越すべきだよな?』とにっこり笑われて、一瞬にしてその場に撃沈・敗退させられたその様子に、
ドライブホルダーに収まった零神操機から半透明の姿を現したコゲンタは、腕を組んで思わず溜息を付いた。

 『モンジュ、そろそろ止めてやれ。お前の小言を聞いてるうちに、2人揃ってまた倒れかねねぇぞ?』
 「何を言うアカツキ。この位で倒れるようなやわな修行を課したつもりは無いぞ?」
 『…お前、本っ当に怒ると相変わらず性質悪ぃのな。…全く変わってねぇぞその辺』

『寧ろ余計酷くなってないか?』と呆れた口調で言うコゲンタに、モンジュが反論しようと口を開こうとした瞬間、本殿にナズナが姿を現した。

 「お話の途中申し訳ありません。
…ヤクモ様、ナナ様両名に、表の方に来客が」
 「…来客?」
 「誰?」
 「…まぁ、良い。2人共行きなさい」
 「「はい」」

蝙蝠扇と衵扇を置き、きっちりと頭を垂れて礼を取り、場を辞して衣を翻し、そのまま部屋を出るまで無言で退室していく息子達の後姿を見送りながら、
一人本殿に残ったモンジュは小さく溜息を付いた。

 「御二人とも深く反省しているようですし…この辺で赦してあげては如何でしょうか?」

ヤクモ達と入れ替わりに本殿に現れたイヅナは、難しい顔をしたまま座っているモンジュの顔を見て思わず苦笑する。

 「いや、言える時にきっちりと言っておかなければ、何時何が起きてどうなるか判らないからな。
……無茶も人一倍する事だし」

石化の呪に囚われて、孤軍奮闘するヤクモ達を援けられなかった前・陰陽大戦。
そして、半年前に終結したばかりの陰陽大戦でも、世界を『無』から救う為に、命を賭して世界を支える“人柱”と化した息子を援ける事も適わなかった。
如何やら『二度ある事は三度ある』という諺に苛まれているらしいと察したイヅナは、

 「…でも、今暫くはヤクモ様もナナ様も静養しなければなりませんから、闘神は厳禁ですし、今はナナ様も側に居られますから、そう無茶もされないと思いますよ。
それに…」
 「それに?」
 「一昨日の朝、起き上がって鍛錬をしようとしたら、『お願いですから安静にしていて下さい!』と、ナズナに泣かれて、
偶々部屋の近くを通り掛かったナナ様に、『泣かせるな無茶するな』と強く説教されたと、随分ショックを受けて落ち込んでおいででしたから」

くすくすと口元に手を当てて笑うイヅナの姿を見たモンジュは、更に何とも言えない顔をすると、目を閉じて深い溜息を吐いた。










ナズナに誘われるがままに、渡殿を渡って吉川家の奥の間に足を踏み入れれば、

 「…お、大分顔色良くなったな〜」

右脇に紙袋を置き、部屋の中央に置かれた机の前に座って、如何やらナズナに出してもらったらしい茶を啜っていたマサオミが、ひらひらと手を振ってみせる。

 「…来客って」
 「お前の事だったのか、大神」
 「そういう事。…って言うか、お前ら何でそんな格好な訳?」

『確かに、普段の服と違うね〜』と、マサオミに相槌を打つように極神操機から半透明の姿を現したキバチヨと共に、首を傾げて返答を待てば、

 「祓ってもらったんだよ」

『俺達は昨日までずっと床に臥したままで、祟られたままだったからな』と、眉を顰めて苦々しく呟くヤクモの顔に、マサオミが苦笑を浮かべる。

 「俺は一足先に祓ってもらったからな〜…。
成る程、道理でそんな格好をしてる訳だ。…ご愁傷様」
 「何がご愁傷様よ。アンタだって御祓い仲間のクセに」

『そもそも何で私達よりアンタの方が回復早い訳?!』と口調と眼光がどんどん強くなるナナの質問に、

 「ん?そこはほら、極闘神士だから」
 「違うぞ北条。あれは1200年前の人間だから、俺達みたいな可愛らしく弱い現代人と違って、野生児とそう変わりないんだ」
 「あれ言うな。あと、誰が野生児だ吉川。お前の方がよっぽど野生児で人外だろうが。
…それに、お前の実力は到底“可愛らしく弱い現代人”なんて言える範疇じゃないぞ」
 「誰が、何だって?」
 「あぁもう!私からすればどっちもどっちよ!!」

言い合いに発展しかけている双方の言葉を遮り、自棄気味に叫ぶナナの声に、

 「…その言葉、何気に“人間じゃない”って言われてるみたいで、ショック受けるんだけど…」
 「何よ、事実じゃないの。半年前に“人柱”になっておいて、今更言い逃れ出来るとでも?!」
 「…御免なさい」
 「判れば良いのよ、判れば」
 「ははははは…え〜と、その、アレだ。そろそろ本題に入りたいんだが…良いか?」

ヤクモが人柱になった件は少なからず自分にも責任があるマサオミは、笑うに笑えず、微妙な乾いた笑いを零すと、
一つ軽く咳払いして、右横に置いてあった紙袋から、妙に高級そうな包装紙に包まれた長方形の箱を取り出して、机の上に置き、

 「済みませんでした」

頭を下げるマサオミの姿に、何事か判らずに瞠目したままヤクモとナナは顔を見合わせる。
そして、徐に頭を下げたままのマサオミの方に視線を戻し、

 「「…は?」」
 「…いや、だから、お前らを体調不良にしたのは俺の所為だし、体調不良にならなかったら、
この間の女郎蜘蛛なんて、お前らの力ならあっという間に退治出来ただろ?」

『だから、御免なさい』と再び頭を下げたマサオミを見て、ヤクモとナナは再び顔を見合わせ、

 「…くっ」
 「…っふふ…」
 『何かよく判らないけど、笑われてるよマサオミ君』
 「っお前ら!!人が心底悪かったと思って謝ってるのに、何で笑うんだ!!」

『失礼過ぎだお前ら!!』と、拳で机を叩きそうな勢いで怒るマサオミに向かって、2人はひらひらと手を振り、

 「…いや、まさかお前がそんな事するとは思ってなかったからさ、つい…」
 「全くね。意外な面を見たわ…」

そう言いつつ、如何やら双方揃って笑いのツボを付いてしまったらしく、未だに笑い止む気配が無いどころか、腹を抱えて笑い転げている2人の様子に、

 「…やっぱり失礼だお前ら」

憮然とした表情を見せるマサオミの顔を見て、漸く笑いが収まってきたヤクモは苦笑を浮かべる。

 「…まぁ、良いわ。何も言わないでそのまま放置されるよりはマシだもの。赦してあげるわよ。
…ヤクモは?」

ナナは目じりに浮かんだ涙を指先でそっと拭いながら、横に座っているヤクモへと問い掛ければ、

 「俺も…まぁ、良いって事にしておこうかな?イヅナさんは如何言うか知らないけど」
 「う゛っ………じ、じゃあ後で謝ります」
 「宜しい」

ヤクモが鷹揚に頷いてそう返した後、一瞬その場に沈黙が訪れる。
3人は顔を見合わせると、やがてくすくすと小さく笑い始めた。












 <UP:05.12.14/Re−UP:06.7.16>