随分と深く、長い夢を見ていたような気がする。

 「ん…」

唐突に夢の中から現実に引き戻されるように覚醒し、薄っすらと目を開いた先に見えたのは、ここ数日ですっかり見慣れてしまった吉川家の天井板の木目模様だった。
少しだけ首を動かして廊下へ通じる障子の方へと視線を向ければ、閉じられた障子の向こうは明るく、障子紙を通して部屋全体を薄く照らし出している。

 『私…何時寝たんだろう…?』

深い眠りに入っていた意識の大半はまだ覚醒しておらず、上手く回らない思考でぼんやりと考える。
確か自分は数日前に、妖怪退治の為に吉川家を訪れて、そのまま逗留して…熱が下がらない身体に無理を押して、
ヤクモと共に妖怪退治に出て………それから…それから?

ぼんやりと今だ覚醒しきらないまま、ナナは手近な記憶を手繰り寄せる。
覚えているのは、断片化された記憶の欠片。
迫る小袖の手、闘神符を放つヤクモ、その側を勢い良く駆け抜ける青龍と、その契約闘神士。
月夜に照らされた境内。…そして、霞みがかった視界が意識を失う寸前に映した、鳥居の上に居た“何か”の姿。
…あれは何だ。そして、何故私は今、あの境内から遠く離れたこの部屋に居る?

 『ヤクモは…?』

彼は?…そしてもう1人の青龍を連れた闘神士は、あの後どうなった?
必死で手繰り寄せる記憶の欠片の中に、彼等と共に吉川家に帰宅したという記憶は全く無い。
無意識に息を詰めていたナナはゆっくりと息を吐き出し、薄暗い天井を見上げる。
障子越しにでも相応の光が入って来ているので、まだ日が高いのだろうが…残念ながら、吉川家に来てからは専ら時計機能としてしか使っていなかった
淡いピンク色の携帯電話は、文机の上に閉じられた状態で置いたままで、時刻を確かめようにも、布団の中からは手を伸ばしても届きそうに無い。
仕方なく身体を起こそうとしたが、支えにした腕は殆ど力が入らず震え、直ぐに崩れ落ちそうになる身体を叱咤しながら、上掛け布団を除け、布団の上に上半身を起こす。
身体が信じられないほど重い。そして、全身が激痛を訴える。

 「……っ」

全身を襲う痛みと倦怠さに耐え切れず、直ぐにバランス感覚を失って布団の中に倒れ込む。
倒れ込んだ拍子に背を打ち、全身を駆け巡る痛みに一瞬息が止まる。

 『ナナ!』

悲鳴のように自分の名を呼ぶ声に、痛みを堪えて薄く目を開ければ、半透明の霊体姿で心配そうな表情を変える事無く此方を見下ろすコマチの姿が見え、

 「…大丈夫……って言っても、そうは見えないわよね…」

小さく苦笑して、全身に広がる痛みが少しでも治まるのを待つ。

 「…コマチ、あの神社の境内で、私は気を失ったの?」

小さな声で、途切れ途切れに問い掛ければ、コマチは無言のまま、こくりと首を縦に振って肯定の意を表す。

 「ヤクモ達は…?」
 『別の部屋で眠ってる…まだ、目を覚ましたって話は聞いてない』
 「じゃあ、2人とも、私と似たような状態って事…?」
 『多分』
 「そう…」

…あの山奥の神社の境内で何が起こったのか、どうやって此処まで戻って来たのか、本当はとても知りたい。
けれど、今の自分では満足に身動きも取れない。

 「寒い…」

熱はまだ下がっていないのか、痛みに紛れてはいるが全身を悪寒が包んでいる。
筋肉痛に似た痛みを訴える両手を伸ばして、力の入らない指で何とか上掛け布団を掴み、上半身を隠すように引き上げる。

 「…誰か、居ないの…?」

…誰でも良いから、話を聞きたい。
一体何がどうなっているのか――――誰でも良いから。
ナナの思いに反するように再び急降下し始めた意識は、呆気なくナナの意識を再び夢の中へと引き摺り込んだ。










 「………………」

ゆっくりと目を開くと、天井から吊るされた電灯の光が目に飛び込んできた。

 「っ、……」
 『…お、目が覚めたか?ヤクモ』
 「…コ、ゲンタ…?」

逆光になっていて見え難いが、ヤクモと視線を合わせるように、枕元に置かれていた零神操機から半透明の霊体姿を見せたのは『白虎のコゲンタ』。
熱が出ているのか、渇ききった喉では声が出難く、掠れた声で小さく名前を呼べば、『何だ?』と小さく首を傾げる。
ヤクモからの返答は無いものの、ほっとしたような安堵の表情を薄く浮かべたのを読み取って、コゲンタはくるりと背後に振り返ると、

 『…モンジュ、ヤクモが目を覚ましたぞ』
 「ヤクモが?!」
 「ヤクモ様!!」

閉じられていた隣の部屋との境を遮る襖の向こうから重なる声が聞こえたかと思うと、すぐさま襖が開いてモンジュとナズナが姿を見せる。

 「ヤクモ!大丈夫か?!気分は…」
 「ヤクモ様!」
 『おいおい。お前等が先に落ち着けって。病人を吃驚させるな』

『吃驚してるだろうが』と親指で指された本人は、確かに吃驚したように瞠目していて――――あまりまだはっきりしていない意識の中、
コゲンタの言葉をゆっくりと理解したのか、やがて目許を緩めて口元に薄い笑みを浮かべる。

 『ヤクモに何かあったら即行ですっ飛んでくるっていう、お前のそういう所は全く変わらないな…モンジュ』

『ヤクモが嬰児だった時から全く行動変わってねぇ』と、腕を組んで呆れ顔で呟くコゲンタの科白に、モンジュは苦笑すると、
ナズナと共にヤクモの枕元に膝を付いてゆっくりと正座する。

 「…大丈夫か?」

ゆっくりと問い掛けてやれば、こくりと小さく頷いてみせる。

 「俺…何日、寝て、た…?」

カラカラに渇いた喉で無理矢理声を出そうとすると、喉の奥で張り付いたような息苦しさを覚えて、軽く咳き込む。
その様子を見たナズナは、慌てて枕元側の机の上、盆に載せてあった吸い飲みをヤクモに差し出す。
ナズナに持って来てもらった吸い飲みのお蔭で少しばかり水分補給出来たヤクモは、暫く目を閉じて少し荒くなっていた呼吸を整える。

 「丸2日、…だな。
…何処まで覚えてる?」

ヤクモの前髪を掻き揚げてそっと額に掌を押し当てるが、まだ熱は完全に引いていないらしく、掌に伝わる熱はまだ熱い。

 「家に帰って、きて…玄関まで歩いて行って…それからは……もう判らない」

目を閉じて記憶を探っていたが、それ以上の記憶は思い出せない。

 「そうか」
 「…北条達は?」

 「彼の方は昨日目を覚まして、別の部屋でまだ休んでるよ。
ナナ君の方はまだ目を覚まさない。…お前より症状酷いからな」
 「熱による脱水症状に加えて、全身疲労による気力と体力の低下。
…それに、数日前からの体調不良が完全にぶり返してしまわれて……高熱が続いていて、まだ目を覚まされません…」

ヤクモの枕元に正座したナズナが、目を伏せてそっと伝える。

 「…そっか」

ヤクモとしては、一刻も早くナナを連れて街へと逃れる為に、一晩中必死になって庇い続けたのだが、病状が軽いうちに連れ帰れなかったのは自分の責任だ。
何処か悔しそうに眉を顰めたヤクモの顔を見て、モンジュが小さく苦笑する。

 「…じゃ、北条は殆ど俺と変わらない症状なのかな?」
 「そうだな。殆ど変わらないだろう。
…と言う訳で、2人共完全に体力が回復して体調が元通りになるまで闘神は厳禁だ」
 「そんな…」
 「一晩中何の連絡もせず、朝帰りした人間が何を言う」

『一晩中、2人して出て行ったきり、連絡1つ寄越さずに帰宅する気配もなし。…イヅナが大層心配して怒ってたぞ?』とにっこり微笑って伝えてやれば、
只でさえ悪いヤクモの顔色が更に悪くなる。

 「…御免なさい」

真っ青になった顔でうわ言のように謝罪の言葉を呟き続けるヤクモを見て、ナズナが慌てて腰を上げかける。
それを片手でやんわりと制したモンジュは、

 「…と、いう訳で…アカツキ、ヤクモの事を頼む」
 『あぁ』
 「ヤクモももう少し寝ていなさい。…まだ、動けないだろう?」
 「…うん」

肺に溜まっていた熱を帯びた息を吐き出すと、ヤクモは再び目を閉じる。
程無くして聞こえてきた小さな息遣いに、ナズナとモンジュとコゲンタはほっとしたように顔を見合わせると、小さく苦笑して席を立ったのだった。












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