『一寸先は闇』状態の森の中を勢い良く駆け抜ける2つの足音は、再び『魔の刻』を迎えた山中の中、痛いほど静まり返った森の静寂に容赦なく掻き消されていた。
「吉川!何で俺は毎日毎日走ってなきゃいけないんだ!」
「お前が走らなきゃいけなくなったのは、元はと言えばお前の所為だろうが!」
「けどな、俺はあんな物の怪に追われる謂れは無いぞ!」
「俺もあるかっ!」
極神操機を徒競走のバトンのように持ったまま、麓への道程を全力疾走しているのは大神マサオミ。
その少し後ろを、闘神符を使って森全体に漂う瘴気からナナを護りながら背に負ぶい、同じように全力疾走しているのは吉川ヤクモ。
その背後から彼らを執拗に追っているのは『片輪車』。
「って言うか、あの妖怪をこの場で調伏すれば、こんなに走らなくても良いんじゃないのか?
…ここは一つ、その無茶苦茶な実力を発揮して、さっさと祓ってくれよ、天流の青龍使い…“生きる伝説”さん」
「両手塞がってる人に言わずに自分がやれ、“天流の偽青龍使い”。
極めた闘神士が妖怪一体すら祓えないなんて言わせないぞ!」
「俺が?疲れてるからもう無理。
…だから、全てにおいて人外・化け物級のお前がやれば、俺もキバチヨも疲れなくて済んで一石二鳥!」
『陰陽大戦に二度も関わって、然も終結させた経験のあるお前なら、どんなに疲れてたって妖怪の一体や二体や三体や四体や五体くらいは
簡単に何とか出来るだろ〜?』と軽口を叩くマサオミの横顔を睨み付け、
「それの何処が一石二鳥だ!然も誰が『人外』で『化け物』だって?この年齢詐称男!」
「誰が年齢詐称男だ。それを言うならお前の方がよっぽど年齢詐称男だろうが!」
『俺は別に、天流の書物に千年も前から名前を載せられた超有名人じゃないぞ?』と、再び揚げ足を取るマサオミにヤクモはむっとした顔を見せたものの、
一拍後に溜息を付いて、反論を諦めたのか口を噤む。
その様子にマサオミは微かに肩眉を上げたが、それ以上口を開く事は無かった。
「…おい、本当にこっちで方角合ってるんだろうな!」
3分ほど無言の時間が過ぎ去り、沈黙を破って口を開いたのはヤクモだった。
「多分!」
「多分って何だそれは!」
「雲に隠されて星も満足に見えないのに、方角を断言出来る訳無いだろうが!」
「〜〜〜〜方位磁石とか持ってないのか?!」
「そんなもの持ってる訳ないだろうが!
そういうお前は陰陽八卦盤持ってないのか?!」
「伏魔殿に行かないのに何で持って来なきゃいけないんだ!」
『ヤクモ!前の方に横道があるぞ!』
罵り合うように喚く2人の会話を遮るように零神操機から姿を見せたコゲンタは、ヤクモの頭上に左腕を乗せて、右手で前方を指差す。
「あれか?!」
月の光の無い山道は、正直人間の目には殆ど『漆黒の闇』と同じようにしか見えていないのだが、如何やら式神はこの闇もはっきりと見通せるらしい。
ヤクモには最早周りの景色は僅かな色の濃淡でしか認識できないが、確かにコゲンタの言う通り、曲がり角のような場所がぼんやりと見える。
『マサオミ!少しだけだけど…雲が晴れる!』
同じように極神操機から姿を見せて空を見つめていたキバチヨは、一瞬目を細めて直ぐにマサオミに告げる。
「よし!えーと…南は…こっちだ!」
バランスを取りながら、地面を滑るように摩擦でスピードを殺すと、90度近く右手へ方向転換して、急斜面になっている下り坂の山道を再び全速力で駆け抜けていく。
ガラガラと音を立てて追ってくる『片輪車』も、曲がり角を曲がって彼等の後を引き続き追ってくる。
「あぁもう!ったくしつこいぞあの妖怪!!」
「そう言う事はあの妖怪に言え!
…因みに今何時だ?」
「午前3時20分!」
冬に行われるマラソン大会より酷い長距離走に、限界をとうに超えている身体が悲鳴を上げている。
最早式神を降神出来る程の気力は、両者共に残っていない。
気力が尽きる前に、新太白神社の神域――――悪しきモノが入れないように結界の張られた境内に入る事が出来れば、と、ヤクモはただそれだけを願う。
――――走り続ける道の向こうから、京都の街を彩るネオンの光が目前に広がり始める。
その光が真夜中の時よりも少し薄れて見えるのは、空が少しずつ明るくなって来ているからだろうか。
「…吉川、お前大丈夫か?何か顔色悪いけど」
『いや、俺もきっと顔色悪いだろうけどな』と付け足すマサオミの横で、
「お前が数日前に食い逃げした時の熱がぶり返したんだろうよ。
…北条が倒れたのもお前の所為だからな」
「…御免なさい」
吐き出された言葉に殺気じみた剣呑な雰囲気が込められているのを感じて、マサオミは素直に詫びるが、
「謝って済むと思うなよ?」
「う…」
『俺だけなら未だしも、北条まで』と剣呑な視線を向けるヤクモの顔から思わず目を逸らす。
目を逸らし序に背後をちらりと振り返ってみるが、相変わらず鬼火を纏った『片輪車』は後を追って来ている。
「…このままだと、京都の街まで付いて来るんじゃないのか、アレ」
背後の妖怪を左手の親指で指しながら問い掛ければ、
「…いや、街に下りる頃には朝日が射すだろうから、大丈夫だろう」
…時刻は3時半を回り、麓へはあと15分もすれば辿り着くだろう。
見上げた空は薄雲に覆われていたが――――東の空から朝日が差し始め、少しずつ明るくなり始めていた。
<UP:05.11.21/Re−UP:06.5.2>