水田が広がる山の裾野、夕暮れ時を迎えた一本道をバイクを押して歩いていたマサオミは、深い溜息を吐いた。
『…マサオミ君、大丈夫?』
「大丈夫な訳無いだろ〜…ったく、あいつら一体何百枚闘神符を放ったんだ…;」
2日前の夕方、伏魔殿から現世に還ってきてから、闘神符の群れに襲われ続けて早2日。
何とかバイクを取り戻して逃げたものの、市内中に放たれているのか、逃げる先でも闘神符は容赦なく現れては襲い掛かってきた。
この2日間で撃破した闘神符の枚数は、優に数百枚は超えている。
『全部あの2人がやったとしても、一晩がかりの作業だよ?この闘神符の量……っと、マサオミ君、また来たよ!』
「あ〜もう!式神降神!!
震・兌・離・兌!!」
「必殺!『福福招来加神』!」
最早自棄を起こしながら印を切る相棒を闘神符から庇いながら、キバチヨは一気に数十枚の闘神符を蹴散らす。
「いい加減休ませて欲しいんだけどなぁ…って、何だ?この感じは?」
ぞくりと背筋が寒くなる感覚を覚え、マサオミは極神操機を右手に構えたまま、怪訝そうな表情を浮かべる。
「…右手に聳えてる山、瘴気で溢れ返ってるように感じるよ?」
「“逢魔ヶ時”、か……」
「如何する?マサオミ君?」
「如何するも何も…一般庶民の皆さんに被害を出さない為には、俺達が行くしかないでしょーが」
『俺もいい加減一般庶民になりたい…』としみじみ呟いて嘆息を零すと、マサオミは近くの古びた社の後ろにバイクを隠し、山へと続く小道を歩き始めた。
夕刻の空は、急速にその明るさを失いつつあった。
「ヤクモ様!」
「これで…最後!」
森の中で依代となる適度な木を3本探し出し、結界を張る為に幹に闘神符を貼り付ける。
その辺に生えている木に適当に闘神符を貼り付けて依代にしようとしても、結界を張る為の『柱』の代わりになる木の方が符力に耐えてくれない為、
依代にする木を探すのは大変だったが、ブリュネと交替させてサネマロを呼び出してからは随分楽になった。
闘神符の作り出す半透明の光の壁が3本の木を支柱に展開し、次第に闇の落ち始めた辺りを照らすように淡く光る。
「急ぐでおじゃるよ!逢魔ヶ時が近付いておじゃる!」
木の枝の上に器用に着地したサネマロは、そのまま次々に木の枝に飛び移り、
「判ってる!」
『ヤクモ!周りの瘴気がどんどん強くなってる!』
『妖怪が目覚め始めやがった!急げ、ヤクモ!』
零神操機から霊体の姿を見せたのは『消雪のタンカムイ』と『白虎のコゲンタ』。
「嫌な予感がする…!」
もやもやと張り付いて離れないその嫌な予感に、ヤクモは来た道を全速力で引き返し始めた。
木の幹に闘神符を貼り付け、二面の結界を作り上げて待つこと数分。
森の向こうから伸びてきた闘神符の作り出す淡い光の壁が、二面の結界と次々に結びつき、五角形の結界を作り上げていく。
「来た!…これで準備完了。
後は、この陣の中央に囮を用意して……」
ナナはポケットから闘神符を1枚取り出すと、呪を込めようとして――――
『あな嫉ましや…』
「ナナ!!」
「―――…っ!妖怪?!」
“囮”の呪を込めて放とうとした結界の中央に、噴き出すように唐突に現れた『黒いもや』は、凄まじい瘴気を放ち、
「くっ!」
即座に闘神符への思念を切り替え、攻撃の呪を込めようとした瞬間、『黒いもや』はナナとコマチに向かって爆ぜた。
「くそっ!」
「ヤクモ様!」
急速に夜の帳が落ち始めた森の中は、刻一刻と暗さが増し、それと呼応するように、周囲の瘴気がどんどん増していく。
『方向感覚』等といったものはこの濃い瘴気の中では全く役に立たず、既に自分がどちらから来たのかも判らない。
逢魔ヶ時を迎えた山は、目覚めた妖怪で溢れかえり、自分と降神した式神の周りを容赦なく取り囲んでいく。
自分達の周りがこの状態なら、きっとこの先に居る彼女の周りも同じ筈。
体調の優れない彼女が、妖怪相手とはいえ、そう長い間闘神戦を行う事は、死に急ぐ無茶をしているのと同意義だ。
況してや、今の彼女は妖怪に対し『不殺』を掲げている。
早く彼女に追い付いて合流しなければ、自分はおろか、彼女の身に迫る危険度は増す一方になる事は明白で。
「この忙しい時に…!」
舌打ちをして降神したままのサネマロの印を切っていくが、それでも妖怪はどんどん溢れて群がってくる。
「この妖怪の数…異常だ。普通にしては数が多過ぎる」
「ヤクモ様。此処は恐らく霊山でおじゃる」
「霊山?」
「左様。霊力の溜まり場である霊場が近くにあるか、さもなくばこの山自体が、何かしらの祭礼場として使われた、昔からの霊山だと考えられるでおじゃる。
でなければ、この近くの鬼門が開いたままになっているかでおじゃるが…」
「その可能性は薄いな…坎・兌・兌・坎!」
「必殺『呪言鬼神草紙』!」
サネマロが妖怪を蹴散らせている間に、ナナの通った軌跡を探ろうと、懐から数枚の闘神符を取り出すと、符力を込めて闘神符『調』を周囲に放つ。
やがて示された、森の奥へと続く1本の光の筋に、
「サネマロ!急ぐぞ!!」
「了解でおじゃる!」
襲い来る妖怪を闘神符で滅しながら、ヤクモはサネマロと共に闘神符が示した道を全速力で走り始めた。
「ナナっ…大丈夫?!」
「しくじった、わね…」
瘴気に塗れた『黒いもや』の中から現れたのは『蛇帯』。
その帯に絡め取られ、包囲陣の中央、空中に式神と揃って持ち上げられた上に、闘神機を持っている右手を拘束され、印を切る事が出来ない。
幸いなのは左手に闘神符を一枚持っていた事だが、体調不良の所為か、上手く符力を込める事が出来ない。
「あーあ…私もまだまだ修行不足ねー…。
…後でモンジュ様に教えでも請おうかしら…?」
「そういう話はこの妖怪から逃れた後で…ナナ!また何か来た!」
「っ!」
唯一の結界の入り口に姿を現したのは、ひらひらと舞う着物の袖から、不自然なまでに白く細い手が伸び出た『小袖の手』。
「やば…」
此方に向かってその白く長い手を伸ばし始めた小袖の手を睨みつけながら、ナナはぎり、と歯軋りを噛んだ。
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