逢魔ヶ時が過ぎ去り、夜の帳が眼下に広がる街を蓋う。
天上に満月があるとは言え、鬱蒼と生い茂った森の中は矢張り暗くて。






 「やっぱり夜は嫌いだわ…」

少しだけ張り出した崖の上に立った髪の長い1人の少女は、暗闇が広がる森を一瞥すると、一人ごちながらも手中の闘神石を月の光に透かし見た。

 「…こんなに小さい石が別世界の入り口を開けるなんて、普通は思えないわよね…」

少女の手の中で月の光に照らされた闘神石は少女の独り言に答える事は無く、その代わりに、内部に意匠彫刻が施されたかのように、
涙型の石には陰陽の印が浮かび上がる。

 「さてと、そろそろ、…かな?」

森の奥からガサガサと不穏な音が聞こえ始めたのを耳にすると、少女――――『天流』にその籍を置く闘神士・北条ナナは、右手に構えていた白い闘神機を掲げ、

 「式神降神!」

凛とした『荒ぶる神々』を喚ぶ声を発した。








『鎌倉の山へハイキングに出掛けた観光客が、蜘蛛のような化け物に襲われる事件が多発』
『通報を受けた警察も動いたが、その探索隊ですら何の役にも立たなかった』
鎌倉の街中を人伝に巡り巡った噂が、偶々鎌倉の街に滞在していた北条姉妹の耳に入り、

 「…妖怪か、式神の仕業だと見た方が良いわね」

溜息を付き、腕を組みながら呟いたのは姉のマリ。

 「その“化け物”の詳細は?」
 「“手”…若しかしたら“足”かも知れないけど…が複数あること、
それによって傷付けられた傷は、鋭い刃物による裂傷ではなく、何か“強い力で引っ掻かれた”ような傷だと言うこと、
襲われた人が一様に『着物を着た、凄く美人な女を見た』と言っていること、…位かしらね?」
 「その女…が闘神士である可能性は?」
 「否定出来ないわね。今の情報だけじゃ」
 「…場所は?」
 「ハイキングコースから少し外れた山の中腹に、そこそこ広い洞窟があるらしいわね。
その近くで襲われた人が約8割を超えてるわ」
 「じゃあ、塒(ねぐら)はきっと其処ね」
 「多分ね」

…人々が寝静まる時刻まで待って姉妹が動いたのは、その日の夜の事だった。





 「ナナ!」
 「判ってるっ!」

マリが洞窟から『囮』の念を封じた闘神符を使って追い出したのは『女郎蜘蛛』だった。
森の端、崖の上で『囮』の闘神符を掲げたナナの元まで女郎蜘蛛を誘導し、そのまま闘神石を使ってその場に鬼門を開き、出来れば“殺さず”に伏魔殿へと還す。


  妖怪とは言え、命ある者を殺したくない―――…


父親の仇だと思っていた吉川親子が無実だという事を知り、一歩間違えれば実の妹諸共、父が護ろうとした人の一人息子を殺そうとした姉が、
再修業中にポツリと呟いたその言葉は、ナナの心に深く突き刺さった。
ただ『優しい姉に戻って欲しい』と望んで、闘神機を手にした自分。
自分が天流闘神士の血筋にあることなど、それまでは何も知らずに生きてきた。
殺された父を目撃した姉。
『死』があんなに人を変えてしまうなど、思いもしなかった。
…だからこそ。


妖怪にも『親』が居るだろう。『子』も居るだろう。
人間が大切な者を失って哀しみ怒るように、妖怪だって同じではないのか。
そして、自分自身が『命を育む事が出来る』という“宿命”を背負って生まれた以上。


 「元の世界に還りなさい!」

闘神符で創った『檻』に女郎蜘蛛を追い込み、その足元に闘神石を投げる。
開かれた鬼門から飛び出した妖怪は、女郎蜘蛛を封じている闘神符の『檻』の中に飛び込み、現世に逃れる事はない。
伏魔殿から出て来た妖怪達も入った『檻』ごと、鬼門の向こう――――伏魔殿へ送り込んだ瞬間、
女郎蜘蛛は一瞬空を見上げてクスリと艶やかな笑みを浮かべると、そのまま抵抗もせずに他の妖怪達と共に伏魔殿へと消え、
役目を終えた鬼門は自動的に閉じられ、消滅した。

 「…?」

最後の女郎蜘蛛の笑みの意味を量りかねたナナは、女郎蜘蛛が最後に見た方角を見上げ、

 「…お姉ちゃん!」






妹が指差す空を見上げたマリが見たものは、風に乗って逃げる女郎蜘蛛の子供達の姿だった。












 <UP:05.8.11/Re−UP:06.2.20>