真っ黒い釉薬を被ったような、つるふかの黒猫。
先生が汚れに汚れて真っ黒になった姿だと思っていた黒いニャンコは、友人帳を銜えて森の何処かへと姿を眩ませてしまった。
祖母から受け継いだ、大切な友人帳。あれには、祖母が抱いていた想いと、祖母と交流のあった妖達の大切な名が刻まれている。
夏目家の最後の一人。唯一人の祖母の血縁。
――――俺には、どうしても友人帳を探し出さなければならない責任があるのだ。
「併し、夏目の若さまは相当変わり者だねぇ」
「…何故です」
『目』と書かれた面を後ろ手に括り着けていた夏目は、表情こそ面に隠されて判らないものの、怪訝そうな声を上げて此方を振り返った。
「人を騙すため。人を喰べるため。人と拘わるため。理由は様々あれど、妖が人に化けるのはよくあることさ。けれど、人が妖に化けるなんてのは滅多にない。
…姿だけ真似ても、人の匂いと妖の匂いは違う。幾ら上っ面ばかり我らに似せようとも、そんなことで我らを誤魔化せる筈がない」
「成程」
「斑様も…本当にそのお姿で宜しいのですか」
「ん?」
「確かに、紅峰さんの言う通りだ先生。その姿はレイコさんの姿だろう?」
「だから面を被っているではないか」
地面に座って、スカートの裾を正すことなく無造作に乱したまま、胡坐をかいていたセーラー服姿の少女―――レイコさんに化けた先生はそう言って、何が可笑しいのか招き猫の面の下でくつくつと笑う。
「レイコさんは妖達の中では有名だし…万が一、その面の下を見られるような事があったら、黒ニャンコどころか一大騒ぎになると思うんだけど、先生」
「鏡がなければ己の顔貌も判らないとは言え、お前も人のことは言えんぞ夏目。
前にも言っただろう。―――お前はレイコによく似ている。顔を見られて拙いのはお前も同じだ」
「確かに、夏目の若さまはレイコによく似ている。
…尤も、レイコは蔑むような目と薄ら笑いが似合う顔をしていたがね」
「…それはヒノエにも聞いたよ」
「何より、レイコの姿を借りていたとしても、私は妖だ。
けれどお前はそうではない。紅峰が言った通り、下手を打てば匂いで正体がばれる」
「精々ばれないように頑張るよ。だから先生も頑張ろうな」
「勝手なことを!」
一方的に“頑張る”ことを決められて憤慨する少女に笑って見せる夏目を見て、紅峰は小さく溜息を吐いた。
「レイコは人も妖も嫌いだった。…お前は、そうではないのか」
その呟きは斑の声に掻き消され、夏目に届くことなく森の夜闇に消えた。