夏目は貧弱である。
…等と素直に口にすれば、それはそれは大いに怒るのだろうが、残念ながら脆弱な人の基準に押し下げて見ても、やっぱり夏目は貧弱の範疇から外れる事はない。
とは言え、それはある意味仕方のない事で―――彼の祖母である夏目レイコの遺した、彼女がイビリ負かせた妖怪達の名を束ねた主従契約書の束『友人帳』は、妖達に名を返す度に夏目の体力をごっそり奪っていく。
妖達は昼夜問わず闊歩しているが、その大部分は矢張り夜の住人。故に、友人帳から名を返して貰いたい妖達は、必然的に人が寝静まる夜中、これまた例外なく眠っている夏目をその都度叩き起こして、己の名を返してもらう事になる。
その結果、ほぼ毎日のように夏目は慢性的な睡眠不足になり、体調もひどく崩し易い。
夏目を預かる藤原家の食事内容が貧相な訳では決してないし、本人の食が細い訳でもない。それでもレイコに似てほっそりした体格なのは、恐らく血縁故の特徴だろう。
夜も碌に眠れず、友人帳の所為で体力を奪われ、その上ほぼ毎日、友人帳を付け狙う妖怪達から全力で遁走しなければならない彼は、本来ならば己の身体の成長に使われる筈のエネルギーを、全て友人帳関連の出来事に使い切っていると言っても過言ではない。
然しながら、これまたレイコ譲りの、並の妖怪よりも強い妖力を持ちながらも、レイコと違ってその力の使い方を知らない夏目は、妖怪に対してほぼ無力。
成り行きで用心棒をしてやる事にならなければ、早々に妖達に捕まって喰べられてしまっていたことだろう――――だが、それはそれで勿体無い。
妖力の高い人間は美味だが、滅多に居ない。グルメ通にとっては、夏目はとても美味しそうなのだ。
そして今もまた、春地蔵の予言通り、妖の巳弥が持っていた『八坂様』の絵に自身の妖力を奪われ続けている夏目は、日に日に衰え弱っていく中でも、頑としてその絵を焼く事に首を縦に振ろうとはしなかった。
お人好しにも程がある。現に、食い破ってやろうと突撃を掛けたら、身を挺して絵を守る始末。
この阿呆め。だから子供は好かんのだ。
朝起きるのも辛いらしく、早めに目覚ましをかけて、ゆっくり起き上がる。学校に居ても眠ってばかり。起き上がればひどく顔色が悪い。
歩けばふらふらと蛇行する有り様で、本人は必死で隠しているようだが、藤原夫妻にその不調を悟られるのは時間の問題と言えた。
学校から戻っても部屋で臥せる時間が次第に長引き、それでも夏目の身体は日に日に弱っていく。
『今、名を返したらそのまま気を失いそうだ…』と小さく呟くその声は、そのまま消え入りそうなほど弱々しかった。
「御免、先生…」
毎晩必ずそう言って私をひと撫でしてから、気を失うように眠る夏目の枕元では、『八坂様』の居る桜並木が、相変わらず花を咲かせもせずに、ひたすら枝を伸ばし根を張り続けている。
夏目の身体に生える桜。もしも咲くならば、一体何色の花が咲くのだろうかと、隣で死んだように眠る夏目のか細い寝息を聞きながら、ふと考えた。