――――空に浮かぶ中秋の名月。
前日が雨だった為に、開催が危ぶまれたお月見の会は、祈りと言う名の西村と辻の執念が通じたのか、その執念にお月様が根を上げたのか、雲に隠れる事なくその白い顔を藍色に染まり始めた夜空へと見せてくれた。

 「はい、お待たせー」
 「塔子さんお手製の月見団子…!」
 「お月様が先よ」

今にもつまみ食いしそうな西村の行動にしっかり釘を刺したのは笹田で、その後ろから塔子さん自慢の手料理を盆に載せた多岐が続く。

 「えっと、取り敢えず唐揚げと芋の煮物。後で海老フライとスパゲティ持って来る」
 「有難う、タキ。預かるよ…って言うか、塔子さん張り切ってるな…」

育ち盛りの夏目達の事を思ってか、沢山盛り付けられたその皿を見て夏目が小さく破顔する。
きっと、見た目に反する事なく、美味しいに違いない。塔子さんの手料理が不味かった事など、これまで一度も無かったのだから。

 「…そう言えば夏目君、猫ちゃんは?」
 「あぁ、先生ならあそこ」

夏目が指差したのは、庭先の桜の木の根元、頑丈なロープで幹にぐるぐる巻きに縛られ、もぞもぞと動く白い三毛猫の姿。
此方の視線に気付いたらしく、より一層激しくロープの魔手から逃れようとじたばたともがく猫の姿は、夕闇に染まる庭先からでも良く見え、

 「何でも、つまみ食いしかけたらしくてさ、笹田に縛られたらしい」
 「そ、そうなんだ…」

まるで嘗て縛った事があるかのような、あまりにも手慣れたその縛り方に、多岐の顔が流石に引き攣る。

 「夏目、なーつめ!花瓶何処だー?」
 「今行く!…タキ、御免!あと宜しく!」
 「いってらっしゃい」

如何やら、ススキと萩の花も無事藤原家に到着したらしい。
枯れ葉を髪や服の至る所にくっ付けて戻ってきた北本と辻の姿に、多岐はつい声を上げて笑ってしまった。

 「!多岐さんに笑われただろうが夏の字!」
 「はいはい、早く終わらせて俺達もあっち手伝おうぜ、辻。夏目、花瓶は?」
 「こっち。用意してあるから」

その様子をひとり見送り、多岐は白猫以外誰も居なくなった縁側に、そっと煮物と団子を載せた皿を置くと、

 「此処に置いておくわね。人に見られないように、持って帰ってね」

虚空に向かってそっと呼び掛けると、一瞬宙に浮いた皿は、そのままふわりと宙へ掻き消える。
先程、夏目に教えられた、ちょび達の来訪――――今のタキの目には視えないが、其処には確かに“彼等”がいるらしい。
満月を祝うのは人も妖怪も同じらしく、今日は妖怪達が百鬼夜行の如く、頻繁に外を闊歩しているのだとか。

 「猫ちゃんも、もう少しだけ待ってね」

そう言って軽やかに背中を翻した少女の姿に、独り置いてけぼりを食らった猫の悲鳴のような鳴き声が庭先に響き渡った。








 「ゴメン、御免ね、猫ちゃん」
 「…………」

藤原夫妻と、夏目とその友人達による、月を愛でる宴が始まる直前まで、桜の幹に縛られたまま、誰からもその存在を忘れ去られていた猫の事を真っ先に思い出したのは夏目で、
漸く縄を解いてもらった猫はと言えば、暴れ疲れたのか、じとっと恨めしそうな瞳で見上げて来るだけで、お得意の右フックどころか、鳴き声一つ上げずに、只管謝り続けているタキの腕に抱かれて、されるがままにじっとしている。
如何やら相当臍を曲げてしまったようだ。

 「ニャンゴローは確か酒がいける口だったな。呑むか?」
 「にゃん」

滋に呼ばれた途端、タキの腕の中から猫が飛び出していく。
苦笑するタキの目前では、田沼が団子を摘み上げて怪訝そうな顔を晒しており、

 「如何した?」
 「…なぁ、これ作ったのって、もしかして多岐さん?」
 「えぇ」
 「確かに、これじゃあ月見団子と言うよりは、猫団子盛り…むぐっ」
 「折角の多岐さんお手製の団子に文句言うな北本!」

白い月見団子に、猫の顔を模した顔が沢山付いているその団子を見て渋面を晒す北本の背中を西村が遠慮なく叩く。

 「この芋の煮物、美味いですっ」

独り黙々と箸を進めていた辻が唐突にコメントを発表し、

 「有難う。それ、笹田さんも手伝ってくれたのよ」

朗らかに応じる塔子さんの隣で、ちびちびと酒の入った皿を舐めて晩酌をしているのは白い三毛猫。

 「…そう言えば、“彼等”も楽しんでるのか?」
 「あぁ、向こうで盛り上がってる」

田沼の指摘に夏目が指差した方向には、ぼんやりと鬼火のような薄明かりが見えるだけで、何者の姿も田沼の目には映らないが、夏目が小さく手を振っているところを見ると、向こうも此方が様子を窺っている事に気付いたものらしい。

 「…視えたら、少しは違って見えるのかな、この風景も」
 「じゃあ、今度陣書こうか?田沼君ならきっと視えるから」 
 「タキ、田沼は…」
 「良いよ。ちょっと位なら大丈夫だし、夏目の知り合いなら、大丈夫だから」

妖に当てられやすい田沼に気遣いを見せる夏目に小さく首を振り、そのまま3人でそっと空を見上げる。
空に浮かぶ白く丸い月は、微かに笑っているようにも見えた。





   (UP/09.10.03)