――――人の生は、妖のそれに比べればあまりにも短い。
妖にとってはついこの間生まれたばかりの子どもが、あっという間に成長し、老いて再び現世から旅立って行く。
併し、その人の生のサイクルから外れた者は、もう“ヒト”と呼べる存在ではない。
数十年前に、自ら人である事を止めて、儚くも人の世から消えてしまった少年は、今もその頃の姿のまま、人と妖との狭間の世界を歩いていた。





 「「なっつめさま〜!!」」
 「静かにおしぃ!!!」

元気よく挨拶した途端に怒声を返され、涙目で小さくなったのは、嘗て夏目が人として生きていた頃から夏目に懐いていた中級達。
もう何十日も斑の傍で眠ったまま目を覚まさない夏目の髪をそっと撫でていたヒノエは、隣で小さく溜息を吐いた紅峰へと視線を向けた。


人から妖に転化した地点で、夏目は人だった頃の記憶の大部分を失ってしまった。
ある意味副作用とも言えるその症状は、それだけに留まらず、夏目の意識自体がひどく曖昧になった――――殆どの日を眠ったまま過ごすようになったのだ。
文字通りの“眠り姫”。…それだけならまだ良い。
だが、夏目の身体の中で、人と妖の力がせめぎ合い、妖の力が打ち勝つ度に、夏目は“ヒト”の頃の記憶を、言葉を失っていく。
目を覚ます度に、少しずつ記憶を、言葉を、感情を失っていく様子は、まるでゆるゆると死に行く姿を見ているようだった。

 「夏目さま〜…」

今までの最長睡眠時間記録を一昨日突破し、名を呼ばれても、頬を叩かれても、それでも未だ目を覚まさない子ども。
眠る度に、目を覚ますまでの時間が少しずつ、少しずつ延びていく。
以前、ヒノエ達がささやかな抵抗と称して、夏目に与えた着物をとっかえひっかえ、まるで着せ替え人形の如く夏目を弄んでは彼方此方へと連れ回していたが、その時は螺子巻き人形の発条が切れたかの如く、突如意識を失うという形で眠りに入った。
異変を察知してすっ飛んできた斑の傍で昏々と眠り続けた子どもは、半月後に漸く瞼を開いた。
…またひとつ、ふたつと、言葉と記憶を喪いながら。


眠りの世界から中々戻ってこない夏目を心配している女妖達は、此処数日ただならぬ雰囲気をその身に纏っていて、妖怪としての位の違いもあって、迂闊に傍に寄る事も怖くて敵わず、涙目で少し離れた所から様子を窺っていると、ヒノエと紅峰の驚いた声が聞こえた。
何事かと顔を上げた目の前に、蒼い着物が僅かな衣擦れの音と共に舞い降りる。

 「…ごめんな。また、眠ってた」

抜け落ちた表情はまるで出来のいい人形のようだったけれど、辛うじて声に残る感情の残滓。
ほたほたと大粒の涙を零し始めた中級達を見て、子どもは久しぶりに苦笑した感情を眦に浮かべた。