「カイ〜暇だよぉ〜;」
「じゃあドライガーのメンテナンスでもやってろ」
「それは先刻もうやった」
「じゃあお菓子でも食べてろ」
「それもさっき一杯食べた」
「…………。…マックス達は?」
「3人で出掛けた」
「……………」
「う〜っ…カイぃ〜ひまぁ〜〜」
「五月蝿い。…本が読めん。」
「本なんて何時でも読めるじゃないか。暇〜〜;」

…ついさっきまで、部屋の中にレイの高い声が響いていた筈なのに。









**  die vier Jahreszeiten ― der Früling  **









「――――…?」
何時の間にか部屋の中が静かになっている事に気付いて、カイは読み耽っていた本から目を上げた。
先刻まで『暇』だの何だのと言って、レイが読書の邪魔をしに来ていたのだが、
今、部屋に広がるのは時計の音とカーテンのはためく音のみ。
相手にしてやらなかったから、諦めて寝室に寝に行ったのだろうと視線を移動させた先に、等身大の猫は居た。
「……………。」
…窓の下、差し込む光の柱の中で丸くなって眠っている猫、…基レイ。
熟睡しているのか、よくよく耳を澄ませればくうくうと寝息まで立てている。

カチ、カチと時計の秒針の動く音。

いい気なものだ、と思う。
先日もああいう風にソファーの上で丸まって眠っていたから、ちょっとだけ悪戯をしてみたのだが、
寝覚めでも悪かったのか、夜になってから闇討ちされて昏倒している間に木に縛られ、
挙句の果てに一晩中外に放り出されていた。
…何とか縄を解いて冷えた体で急いで部屋に戻ったら、闇討ちした本人はすやすやと人のベッドの中で眠っていて。
俺の不穏な気配に気付いたのか、むくりと起き上がったレイ(因みに半分以上寝惚けていた)に『お帰り〜v』等と言われて
飛び付かれて動きを封じられなければ、怒りのあまりドランザーを放っていたかも知れない。
…そもそも、人を木に縛っておいて何が『お帰り』だ。
そう言えば一週間前に木ノ宮がレイの機嫌を損ねた時も酷かった。
レイは一言も怒りはしなかったが、その日の夜にレイが作ったチョコレートケーキの中、
然も木ノ宮の取り分にだけ“何か”を盛ったらしく、3口目でそのままノックダウンされていた。
本人は問われて『間違えてブランデーを放り込んだ』等と言っていたが、チョコレートケーキを作るのにブランデーは必要ない。
嘘が下手なレイらしい科白と言えばその通りだが、マックスもキョウジュもレイに対して何か感じ取ったのか、
それ以降暫くはレイの機嫌を損ねるような言動はしなかった。…それが賢明だろう。
「………。」
一つ溜息をついて本に視線を戻す。
見ているとつい悪戯をしてみたくなる。…が、それをすれば先日の二の舞になる事は必至だろう。
そのような愚かな事はしたくない。

そして再び静かな時間が流れ始めた。






…時計が14時30分を指し、時計からオルゴールに似た電子音が小さく流れ始める。
「う…ん……」
微かに上がったレイの声を聞いて、起きたのかと再び本から視線を上向ける。
光の柱の位置は先刻より少しずれ、レイの全身を包まなくなった為か寒くなったらしい。
身じろいで更に丸くなろうとする。
「……………。」
本物の猫のような反応に、呆れに近い感情が心に浮かび上がる。
『毛布でも取ってきてやるか…』
一体、何時の間に自分は他人を気遣うようになったのだろうか。
『…あいつ等の所為か…』
少し前の自分では思いもしなかった独白に内心少し苦笑すると、カイは本を傍らに伏せ、寝室に向かうべく立ち上がった。

パタンッ!

「…?」
背後で何かの落ちる音。
音から察するに、自分がさっきまで読んでいた本が立ち上がった時の弾みで落ちた…らしい。
瞬間的に『しまった』と思うが、もう遅かった。
「…カイ……?」
振り返れば、丸くなって眠っていた筈のレイがゆっくりと体を起こし、目を擦っている。
「何処かに…行くのか?」
まだ半分以上眠っているような声でレイが問い掛ける。
「…そのつもり、だったんだがな」
「?…『つもりだった』って?」
「お前が起きるから行く意味が無くなったんだ」
「は?」
まだ睡魔に取り憑かれているのか、少し寝惚けた顔のまま――――それでも、此方に向けられた表情からはきょとんとしているのが伺える。
『表情まで猫みたいに多彩な奴だ』
内心でそう呟いてから、この分では再び眠ってしまうであろうレイの為に、毛布を取りに再び寝室の方に向かって歩き出す。
「あ、待てよカイ!」
予想に反して、慌てて立ち上がるレイの足音が後ろから聞こえた。




『カイはずるい。』…いつもそう思う。
構って欲しい時には全然構ってくれないくせに、構って欲しくない時に限って悪戯してくる。
『本当にずるい。』
…今日も、何度思った事か。
構って欲しい、とどれだけアピールしても、視線は本にばかり向かっていて、少しも此方に向けてもくれない。
欲しい反応は全く戻って来ない。
『…キラわれてるのかなぁ?』
カイは俺の事が嫌い、…なんだろうか。
今だって、背を向けて一人歩いて行ってしまう。
また、たった独り部屋に置き去りにされてしまう。

…それが嫌で、いつも彼の後を追いかけていた。




「カイ…?」
カイを追って暗い寝室に入る…が、目が慣れなくて室内がよく見えない。
「カイ?どこ――――わぷっ!!」
突然柔らかい何かが顔面に飛んで来て、視界を遮られる。
慌てて払い落とすと、目の前には『何やってるんだ』とでも言いたげな表情をしたカイが立っていた。
「…寒いんだろう?それでも被っていろ」
少し屈んで、俺が払い除けた毛布を拾い上げ再度押し付けると、風のようにするりと脇を通り抜けてソファーに向かう。



また、独り置き去りにされる。―――いつもと同じように。
柘榴石のような紅い瞳は、いつも自分を見てくれない。

嫌、だ。



「ぅわっ!!」
いきなり後ろからタックルされて、前につんのめって床に膝をつく。
「痛ぅ…いきなり何をするん…!」
非難の声を上げかけた矢先に、背中にとん、と軽い衝撃。
何事かと振り返れば、其処には毛布の端を握り締め、座り込んだまま顔を俯けたレイ。
「……レイ?」
「…いよ」
「?…何だ?」
「ずるいよ…カイはずるい」
「ずるい?一体何が…」
「ずるいよ!!」
そう叫ぶと同時に顔を上げたレイの金瞳は俺を睨みつける――――が、次の瞬間涙が零れ落ちた。
「…ずるいよ…」
小さく呟き、涙を零したまま再び俯いてしまう。
―――レイの感情の変化は自分にとっては早過ぎる―――
…はっきり言って、今の状況は何が何だかよく判らなかった。




「…っく…ぅ…」

いっそのこと嫌いになってしまえば、楽になれるんだろうか。
こんなに寂しい想いもしないで済むのだろうか。

「ひ…っく…」

何だか無性に悔しい。

「ず…いよ…」

どれだけ捕まえようと頑張っても、赤い鳥を捕まえる事は出来ない。
自分には無い赤い翼で、自由に飛び立って行ってしまう。

「ずるいよぉ…!」

いつも、たった独り取り残されてしまう。
寂しくて寂しくて――――寒くて仕方ないのに。


「何か言いたい事があるならはっきり言え。…聞いてやるから」
声と共に顎を掬い上げられる。
突然の出来事に、思わず視線を向けた先には自分を捉えて放さない柘榴石の瞳。
「――…ぃて」
「…?何だ?」
「…側に居て」
擦れた声で言葉を紡ぐ。
「側に居てよぉ…っ…」
涙が止め処なく溢れ出して止まらない。
「俺は、…側に居るつもりだったんだがな」
そう言うと、カイは毛布ごとレイを引き寄せた。
「うっ…く…」
抱き寄せられるまま、カイの首に手を回す。
「側に居てよぅ…」
小さく呟くと、毛布の上から更に強く抱き締められる。
「レイ」
名前を呼ばれて、カイの肩に伏せていた顔をゆっくり上げると、そのまま視線まで捕らえられる。
『…やっぱりずるい』
自分が幾ら足掻いたって捕らえる事が出来なかった紅い瞳に、自分はあっさり捕まってしまう。
『本当に、カイはずるい』
自嘲するようにそう思うと、レイは瞳を閉じた。

引き寄せたレイの体は冷たくて、服越しでも触れている部分から自分の体温までもが奪われていくのがよく判る。
『また、…か』
先日は悪戯をしてレイを怒らせ、悪戯しなかったら今度は泣かれた。
…一体如何すれば良いのだろう。
己のレイの対する理解度の浅さに最早自嘲する事しか出来ない。
心底不器用な自分が恨めしい。
自分が不器用なのは自他共に認めるが、今はその不器用さの所為で
レイに悲しい思いをさせている自分が愚かで、情けなくて仕方がない。
「“主、ソドムとゴモラに硫黄と火を注ぎ、街と民のことごとくを滅ぼしたまえり…
…この時ロトの妻、主の言に逆らいて後ろを顧みたれば、すなわち塩の柱となりぬ”―――…か」
口から零れたのは、昔、極寒の地で教えられた聖書の一節。
皮肉なものだ。あの修道院で教えられた事が今になって甦ってくる。
あの地の記憶は今だに忌まわしいが―――少なからずとも、今の自分にはこの上なく痛い“言葉”である事には違いない。
…今の自分は、まるで滅びる街の方へ振り返った女のように愚かだ。
『“言葉”――――…か』

「側に居て」

…そう、レイは言った。
――――側に居て――――
…何を如何したら良いのか判らない、愚かな自分に唯一彼から与えられた言葉。
レイが自分に対して望んだ“言葉”。
…ならば、俺はそれを叶える。
ロトの妻は、神の忠告に逆らった為に塩の柱に変えられたのだ。
俺までその愚かな道を歩まればならない事はない筈だ。
何よりも――――レイが“俺”を望むなら。

俺は、それを“叶える”。







「たっだいま〜!!…って、アレ?誰も居ない?」
「如何したノ?タカオ?」
ばたーん!と大きな音を立ててリビングのドアを開けたタカオの後ろから、ひょっこりとマックスが部屋の中を覗き込む。
「…カイとレイは如何したネ?」
「知らねぇよ。どうせレイは部屋で昼寝でもしてるんだろ。カイは…出掛けてるか、どっかの部屋でまた小難しい本でも読んでんじゃねぇの?」
ほら、と部屋に入ったタカオが指差した机の上には、空になったお菓子の袋が数袋。
「困りましたね…折角カイとレイの分も買って来たのに、これでは冷めてしまいます」
2人の脇を通り抜け、机の上に抱えていた肉まんの袋を置きながら呟いたのはキョウジュ。
「大っ丈夫ネ!きっと2人とも部屋に居るネ!!…ボク、2人の部屋に行ってくるヨ!」
「痛!痛いです!!」
脇に立っているキョウジュの背中をバシバシ叩いて、マックスは部屋を飛び出した。
「〜〜マックス!ちょっと待って下さいよっ!!!」
キョウジュがマックスの後を追う。
「2人共行ってらっしゃ〜い♪ …さ〜て、今のうちに肉まんを…
タカオは呑気な見送りの声を上げ、自分の肉まんへと手を伸ばすが―――
「タカオ、僕達が帰って来るまで肉まん食べちゃ駄目ネ!」
「その通りですタカオ!…もし食べたら今夜特訓メニューを更に追加しますからねっ!」
「げっ!!何だよそれ〜〜〜〜!;」
声は遠ざかりつつあるのに、考えは見透かされたらしい。
思わず非難の声を上げるが、返事は戻って来なかった。

「それにしても寒くなってきたネ」
「もうすぐ夕方ですからね…昼間は暖かくても夕方は冷えます…
早く2人を呼んで、肉まんが温かいうちに頂きましょう」
「OK!…レイ!カイ!肉まん買って来たから一緒に―――…」
「?…如何しましたマックス?」
ノックもせずに、勢いよくドアを開けたマックスの言葉が急に止まる。
「マックス?」
「キョウジュ、この部屋だけ真夏だヨ☆」
片目でウインクしながら、後ろに立っているキョウジュに振り返って愉しそうに言う。
「はぁ?如何言う事ですかそれは?」
「見れば判るネ」
「はぁ…」
言われて覗いた部屋の中、ソファーには同じ毛布に包まってお互いに凭れ掛かったまま、座って眠っている2人の姿。
「…成程、私達はお邪魔のようですね」
「ボク、こんな“熱い”部屋には居られないヨ。帰ろ、キョウジュ」
「そうですねぇ…」
静かに扉を閉め、部屋を後にする。
「…写真くらい撮っておいた方がいいかナ?」
「マックス!それは――――それで楽しそうですねぇ」
「あ、キョウジュもそう思う?
…滅多にあんなシーン見れないもんネ〜チャンスだヨ♪」
「マックス…貴方凄くこの状況楽しんでるでしょう?」
「あったり前ネ!!」
マックスは満面の笑みを浮かべて、再びバシバシとキョウジュの背中を叩く。
「いた、痛いですってばマックス!!」
「この位大した事ないネ!それより早く肉まん食べようヨ〜!」
「あっ!ちょ、ちょっと…待って下さいよマックス!」
「早くしないとタカオにミンナ食べられちゃうネ!」
「食べてねぇよ!!」
駆け出したマックスの前には先程“おあずけ”を食らったタカオが仁王立ちで立っていた。
余程お腹が空いているのか、不機嫌そうなオーラが周りを取り巻いている。
「…あは、Sorryネタカオv」
そんなタカオにマックスはにっこり微笑んで、少しも悪びれた様子を見せないまま謝罪する。
「…ったく…ところでキョウジュ、カイとレイは?」
「ああ、あの2人なら―――…」




















<UP:03.3.20>