「カイの家へ行くっテ…レイ、外はこ〜んなに暑いのに本気ネ?」
「マックスの言う通りですよレイ。もう少しだけ此処でカイを待ってみては如何ですか?
庇の下でも十分暑いですし…今外へ出て行ったら日射病になりますよ」
「でも…もう13日もカイは顔を出さないじゃないか……だから、行ってみる」
確かに暑いけど、カイが今日も来なかったら明日行けるかどうか判らないだろ?…と苦笑しながら、
レイは先程2人に言った『明日の夏祭りに行けるかどうかを訊きにカイの所へ行く』という言葉を再度口にした。
「…ホントに独りで大丈夫ネ?」
日本の猛暑に慣れていないレイの顔色が心なしか良くないように見えて、心配になったマックスが訊ねるものの、
大丈夫大丈夫と手を振って、レイはくるりと方向転換し、長い尻尾髪を揺らしながら木ノ宮宅の門へと向かって行ってしまった。
「大丈夫かナ…」
「さぁ…でも、もう30℃を超えていますし…」
レイの後姿を見送る2人の後ろでドタドタと大きな足音が上がり、
「お待たせ〜って……あれ?レイは?」
「カイの所に行くっテ」
ガラスコップに入った冷たい麦茶を廊下の奥から運んで来たのはタカオ。
「何だよ〜;;折角レイの分も用意してきたのに〜!!」
廊下の庇の下から労力を惜しむ声が上がった時には、レイの姿は木ノ宮家には無かった。
――――木ノ宮家を出て数十分後。
「…暑い…」
木ノ宮宅を出てから、何分経っただろうか。
「暑い…」
目指す邸はまだ遠いと言うのに、珠に目の前が暗くなって、眩暈がする。
心なしか、身体もだるい。
「……暑い…」
…本日通算23回目となるその言葉を呟いて、長い黒髪の少年―――レイ―――は遂に暑さにノックアウトされ、
煙草屋の角を曲がった所で道に倒れこんだ。
**
die vier Jahreszeiten ― der Sommer **
ピピピピ…
自室でパソコンに向かって黙々と仕事をしていたカイは、部屋の隅から上がったその電子音に一瞬眉を顰めると、
面倒そうに立ち上がり、音の発信源――――内線の電話を取った。
「何だ」
「カイ様宛てにお電話が来ていますが…」
受話器の向こうで応対したのは、少し困惑した様子のメイドの声。
『直接邸に電話をかけてくるとは、また厄介事でも起きたか…』
カイは内心で溜息を吐いた。
仕事に忙殺される日々が彼此もう1週間以上続いている。
当然、外出も侭ならない為、木ノ宮宅にも全く顔を出していない。
――――ひいては、“彼”とも全く顔を会わせていない訳で。
『そろそろ限界か…』
“彼”と約束した『日時』は、もう明日にまで迫っている。
早くこの仕事を終わらせなければ、また“彼”の顔を曇らせる事になるだろう。
下手すれば“闇討ち”を食らう羽目になるかも知れない。
それだけは何が何でも避けたい――――…
「…相手は?」
一体、何処の間抜け企業が電話をかけて来やがった、…と、内心苛立つ感情を抑えながら訊ねる。
「その…角の煙草屋の御婆さんからで……」
「…は?」
電話の相手が企業だと思い込んでいた分、思わず間抜けな声を上げてしまう。
受話器の向こうで、メイドの困惑した声がより一層強くなった。
…困惑する気持ちが判らなくも無い。
この邸へ掛かってくる電話は全て火渡エンタープライズ関係の電話ばかりで、
一般家庭から火渡邸へ電話する用事など全く無いのだから。
そもそも、カイが覚えている範疇でもここ数年は掛かってきた事すら無い筈だ。
「―――…何番だ?」
「あ、えっと…3番です」
「判った」
…角の煙草屋と言えば、レイを女だと勘違いしたままの御婆さんが経営している店の事だろう。
レイは男だと何度説明しても『最近の若者は“男装るっく”とやらが流行ってるんじゃろ?』…とか何とか言って、
全く取り合ってもくれず、俺の事は“レイの恋人”なのだと信じて疑わない。
何より、角の煙草屋の前を通りかかる度にレイ本人が御婆さんに懐いていったものだから余計タチが悪い。
『はぁ…』
…自然と深い溜息が零れるのを、カイは抑える事が出来なかった。
「…もしもし」
「あぁカイ君かね?突然電話してすまんねぇ」
「いえ……それより一体何の用事で…」
「あぁそうそう、実は、レイちゃんが先刻店の前で倒れてねぇ」
ガチャン! ツー、ツー…
「…もしもし?」
「……どうか…しましたか…?」
不思議そうに受話器を見つめる老婆の後ろの部屋から、弱々しい声が掛けられる。
老婆は受話器ごと声の主―――額に濡れタオルを載せ、扇風機の風に吹かれながら、横になって軽く眠っていたレイの方を振り返った。
「あぁ、起こしちゃったかねぇ?…いやね、レイちゃんが倒れた事をカイ君に伝えたら、急に電話が切れてねぇ…
何処かで電話工事でもしてるんじゃろうか?」
未だ不思議そうに首を傾げる老婆の後ろでレイが声を上げて笑う。
―――併し、その顔は引き攣っていた。
カイに連絡した?…それは拙い。
カイの事だから、きっと呆れて電話切っちゃったんだと思う。
最近全然会ってないけど、こんな事を伝えられたのでは、今度会った時に何を言われるか…
…と言うか、怒られる…絶対に。
「う〜…」
倒れた時に軽く頭を打ち、その上日射病を起こしたこの身体では只でさえ頭が鈍い痛みを訴えているのに、
余計頭が痛くなるような事が起きてしまった。
何と言ってカイに弁解すべきか、レイは横になったまま目を瞑り、思考しようとしない頭を精一杯フル回転させながら、
カイの説教から逃れる為の対処法を考え始めて数分経った時だった。
インターホンのチャイムの前置きもなく、突然ガラッと激しい音を立てて引き戸が開けられた。
「!…カイ?!」
何事かと目を開け、音のした方―――玄関―――へ視線を向けた先には、やたらと息の上がったカイの姿。
此方から見えるカイの顔は逆光になっていて、はっきりと見えない筈なのに、
自分の方へと向けられた紅い瞳が、心なしか怒りに燃えているようにレイには見えた。
――――怒られる。
「まず…っ!」
思い立ったら即行動。
だるいだるいと倦怠感を訴える身体を宥めながら、レイはそのまま跳ね起き、
カイの居る玄関とは逆方向――――部屋の窓へと駆け寄ると、ひらりと窓枠を飛び越えてそのまま外へと逃走した。
「!!」
…全ては一瞬の間の出来事。
「待て!レイ!!」
レイの素早い身のこなしぶりに、一拍の後に我に返ったカイが鋭く叫んだが、レイから返答は返って来ない。
「……くそ!」
半ば吐き捨てるように呟くと、カイは扉を閉めるのもそこそこに玄関を飛び出し、何か勘違いしているらしいレイの後を追い掛け始めた。
突然やってきた“嵐”が過ぎ去り、独り家に残されたお婆さんと言えば、
「うんうん、やっぱり仲の良い“かっぷる”よのう…
…それにしても、火渡の家は外国人が好きなこと…カイ君も“くぉーたー”じゃしのぅ…
……そうそう、後で“アレ”を用意しておかねばのう」
等と、茶飲み茶碗を片手に笑いながら、炎天下の最中だと言うのに追いかけっこを始めた2人の後姿を楽しそうに眺めていた。
弱っているとは言ってもレイは白虎族。加えてチーム内で一番動きが素早い。
前方数m先まで追いついた事は追いついたが、これ以上近付けば壁の上へ飛び上がって、民家の屋根の上を逃走するに違いない。
何処かの変態忍者じゃあるまいし、そんな人外な行動を取られでもしたら、レイを捕捉するのは如何に俺とて難しい――――
「待て!!レイ!!!」
まだ外は30℃を超える真夏の太陽が照り付けている。
部屋で横になって、額に濡れタオルを乗せていたレイの様子からすると、此処に来るまでの間に日射病か熱中症でも軽く引き起こしたに違いない。
…となると、これ以上レイを走らせ続けるのは些か拙い。
今のレイを止める方法は唯一つ。
――――即ち、これ以上逃げられないように前方を塞ぐ事。
走りながらシューターを取り出し、ベイをセットしたカイは、目標をレイへと定めて、そのワインダーを引いた。
「――…ドランザー!!」
「待て!!レイ!!!」
カイの追いかけてくる足音と声が後ろから聞こえる。
…でも停まれない。
先程ちらりと後ろのカイの方へと振り返ってみたが、鬼のような形相で追い駆けられていると知って誰が停まれるものか。
――――最近木ノ宮家に全く顔を出さないカイの元へ、前々から約束していた明日の夏祭りに行けるかどうか、
只それを訊く為に邸に向かったというのに…何故そのカイから逃げ回らなければいけないのか。
そう思いながら再度ちらりと後ろへ振り返ったレイの瞳が捉えた物は、炎を纏いながら此方に向かって一直線に飛んでくるドランザーの姿。
「〜〜〜〜っっ人にドランザーを向けるなぁぁっ!!」
「ベイを向けられたくなくば今直ぐ停まれ!!」
「断る!!」
「ならば…ブレイジングギグス・テンペスト!!!」
「ってテンペストは止めろカイ!!俺を殺す気かぁぁっ!!」
「停まらない気なら強制的に止めるまでだ!」
赤い羽根がレイへと飛び、レイがギリギリで羽をかわす。
「…っわ、本気で危ないだろ馬鹿カイ!!」
「馬鹿はお前だ!!」
「馬鹿って言うな!!」
「お前が最初に言ったんだろうが!」
「〜〜っ…大体、そんな般若みたいな形相で追い駆けられて停まれる訳ないだろっ!!」
「般若とは何だ!第一俺は女じゃない!!」
「あぁもう何でも良いからテンペストは止めろぉぉっ!!」
「―――朱雀」
ぼそりと後ろから聞こえたその呟きと同時に、レイの脇を通り抜け、正面に先行したドランザーから現れたのは朱雀の姿。
「…ッ!」
慌てて踏み止まったレイを襲ったのは急激な眩暈。
「――っレイ!!」
瞬間、昏倒してその場に崩れ落ちるレイをギリギリの所でキャッチし、左手で支えると同時に朱雀はビットの中に戻り、
ドランザーはカイの右手に向かって飛び、受け止められた。
「…レイ」
意識を失い、腕の中にぐったりと横たわったレイの顔色が少しばかり悪い。
「…やっぱり、馬鹿はお前だ…」
小さく呟くとカイは携帯を開き、自宅へと電話をかけ始めた。
『夏祭りに行ってみたい』
2週間前にカイに言った言葉。
我侭を言った翌日からカイは木ノ宮宅に来なくなった。
カイの事だから、また仕事が入ったんだろうと思っていたけど……この我侭に対する返答が無かった分、淋しかった事も否めない。
「――――…ん…」
目を開けた時に飛び込んできたのは、窓から差し込む薄暗い部屋の光。
『ここは何処…?』
ぼんやりと見上げた高い天井は、何だか見覚えがあるような――――カイの家?!!
途端に意識がはっきりして跳ね起きたレイが寝ていたのは大きなベッド。此れにも見覚えがある。
「カイのベッド…?」
…そう言えば以前、カイの家にやって来た時に、このベッドを見つけて、
『寝心地良さそうだな〜vv』とか言いながらベッドにダイブしたらカイの香りがして、
そしたら何だか安心しちゃって、そのままベッドの上に寝そべったまま眠ってしまって、カイに怒られたっけ…
脳裏に浮かび上がった記憶にレイがクスリと微笑んだその瞬間。
「…起きたのか?」
「っうわぁっ!!…て、カイ??」
完全に脳内トリップしていたらしく、寝室のある扉から声が掛けられるその気配に全く気付いていなかったレイは、
逆に問い掛けたカイが吃驚するほど大きな声を上げた。
「…五月蝿い。」
「ご、御免…カイが居る事知らなかったから……って言うか、何で俺はこんな所で寝てるんだ?」
部屋の入り口から此方に歩いてきたカイに、至って真面目に訊ねる。
「お前がいきなり気を失って倒れたからだろうが…覚えてないのか?」
「気を失って…?―――あ」
「思い出したか?まぁ、もう逃げられんがな」
思い出した途端にわたわたとベッドの上で再度カイから逃れようと暴れ始めたレイの腕をしっかりと捕らえたまま、
ベッドの脇に腰掛けてニヤリと笑ったのはカイ。
「それよりも…木ノ宮達に訊いたぞ。お前は何処までも馬鹿だな。何故電話を借りなかった?」
この炎天下に、帽子も日傘も水も持たずに出て行く奴が居るか、と呆れた口調で、カイはレイの寝ているベッドの
上掛け布団の上に落ちていた濡れタオルを拾うと、上半身をベッドの上に起こしたレイの頭の上にポンと乗せた。
「…だって、カイは13日もタカオの家に来なかったじゃないか…」
ポツリと小さく呟いた言葉を言い終わる前に、レイは俯いた。
――――俺はただ淋しかっただけ。…でも、この気持ちをカイに押し付ける事は出来ない。カイは忙しいのだから。
何より、カイにとってこんな気持ちは迷惑なだけなんだから――――…
たった13日間とは云え、会えなければ寂しい。電話をして声を聞けば、会いたい気持ちを抑える事が出来なくなってしまうだろう。
でもカイは忙しいのだ。会いに行ったところで会う時間なんてないだろう。
逢いたいという“望み”と、それに反目する“感情”。
無意識のうちに、カイに依存している自分に半ば愕然とする。
でも、“独り”は嫌―――…
気を失っている間に解かれていた長い黒髪が、俯いた顔をカーテンのようにベッドの脇に座るカイから遮り、レイの視界が暗く狭まる。
「やっぱり馬鹿だなお前は」
「なっ、何だよっ…――ぅわっ!!」
にべも無く言い切ったカイの方を振り返って――――顔に当たった冷たいものに吃驚して飛び上がったレイの目に映ったのは、
何時の間にかカイの手にあったスポーツドリンクのペットボトル。
「お前は俺が喜んであの仕事をやっているとでも思っているのか?」
「!それは―――…」
「それに」
「?」
「お前が寝込んだら行けないだろうが…少しは考えて行動しろ」
何の為に頑張ったのか判らないだろうがと、口では文句を言いながらそっぽを向くその横顔が少し紅いのは何故だろうか。
カイの赤面の理由が判らず、きょとんとしていたレイの脳裏に甦るのは、少し前に自分が言った、『夏祭りに行きたい』という我侭。
『覚えてて、くれたんだ……』
きょとんとしていたレイは段々と笑みを浮かべて、そのままベッド脇に座っていたカイに飛び付いた。
「!!?レイっ…」
「謝謝、カイ!」
華が咲き零れるような笑顔を見せられて、更にカイの顔が紅くなる。
「――――…っっ」
「…?カイ?」
飛び付いた瞬間、折角こっちを向いてくれたのに、またそっぽを向いてしまったカイの顔を覗き込もうと、
ベッドから身を乗り出してカイの顔を覗き見ようと左手を付くが、今のレイに自身を支えられる程の力は残っていなかった。
「…っ?!」
身体が左側に傾く。
左に重心の寄った身体は、カイの身体の少し前を倒れる形だったが、
「…何をやっているんだ、お前は」
何時ものポーカーフェイスを被る事に漸く成功したらしいカイが慌ててレイを支える。
「!だって…」
「だっても何もないだろう…回復してないんだから、早く寝ろ」
「う〜……」
短時間のうちに自分のやるべき事をあっという間に誤魔化され、上手く丸め込まれ、挙句反論をも封じられたレイは大人しくベッドの中央へと横たわった。
「隣の部屋に居るから、何かあったら呼べ」
そう言って、レイが飛び付いた瞬間に床に落ちた濡れタオルを拾い上げて立ち上がったカイのズボンに爪を立てる白猫が1匹。
「…ホントに、明日行けるのか?」
「俺は兎も角、お前はどうかな。その分だと、お前自身が行きたくても行けないぞ」
「それは困る!」
「なら、大人しく寝て体力回復を図るんだな。それに…」
「それに?」
「…いや、何でもない。」
「?何だよ?」
「明日になれば判る」
「って、何だよ?!」
「さぁな」
「さぁな、って…カイが言ったんだろ!」
明日までに仕事を終わらせるには、これ以上レイに構っている暇もないし、
何よりレイを休ませなければ、レイの体力も一向に戻らないだろう。
ズボンにしがみ付いているレイの指を無理矢理引き剥がし、何やら背後で喚いている白猫に背を向け、隣室のパソコンへと向かう。
寝室の方からは、拗ねたような唸り声が微かに聞こえるが、体力の残っていないレイの事、すぐに静かになるだろう。
…併し。
「あれは如何したものか…」
視線の先――――テーブルの上には、先程火渡家へ届けられた女物の浴衣の包み。
『孫が着てくれないから、代わりに着て欲しい』と、例の煙草屋のお婆さんが届けた物らしい。
――――勿論、性別を間違えられているレイ宛てに。
これを着せるとなると、また一悶着起きそうだが、日射病でお世話になった人の頼みを無碍にする事を
レイは良しとしないであろう事もある程度予想できる。
「…ま、何にしろアイツの回復次第だな」
隣室からは、不満を含んだ声はもう聞こえない。
――――願わくば、先程見せてくれた、向日葵の花が咲き誇るような笑顔が明日見れる事を願いつつ。
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